2026年7月29日水曜日

『まったく新しいテクスト分析の教科書』

阿部幸大さんの新著『まったく新しいテクスト分析の教科書』が出版されました。

すっかり阿部さんは売れっ子で、いまさら私などが紹介するまでもないのですが、このブログはおそらく文学研究に興味ある学生の方も読んでいるのではないかと思い、そういった方向けにおすすめしたいので、以下紹介してみたいと思います。

本書はご献本していただいて、手に取った当日に読んで、ご本人にも感想を送ったのですが、まったく同じようなことをここにも書こうと思います。

まず、本書は前著『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(以下AW本)と同じシリーズなわけですが、読む順番としては今回出た『テクスト分析』(TA本)を最初に読み、それからAW本に進むことをお勧めします。

AW本が「自分が持っているアイディアをいかに説得的かつ魅力的にプレゼンするか」という指南書だったとすれば、TA本は「自分が言いたいことを見つけるにはどうしたらいいか」という指南書です。もちろん、論文を書く場合の手順としては後者が先に来ます。論文とは、1)まず何を論じたいかを自分の中で見つけ(TA本)→2)そのアイディアを魅力的かつ説得的な形で表現する(AW本)、という行程を踏むものです。

AW本は、私からすると九万部も売れたのが不思議なくらい実は高度な本です。以前もこのブログで書きましたが、第一章「アーギュメントをつくる」は専門家の私でも苦労するプロセスを説明しており、研究者向けの高度な話からあの本は始まっています。

いっぽう、今回のTA本は私などの研究者が日頃、無意識に行なっている作業をきわめてわかりやすく分析・解説しており、「そうか、自分はこういうことをやっていたのか」と納得しながら読みました。本書に文学の話は出てきませんが、説明されている内容は文学を対象にした分析にもそのまま当てはまるので、文学研究者志望の方で、どうやって論文のアイディアを固めればいいかがわからない方は、ぜひ参考にするといいでしょう。

あと、「批評」という言葉を使わないのもいいと思いました。代わりに「テクスト分析」という、手垢のついていないニュートラルな言葉が使われています。私などは「批評」と聞くと、目の肥えた博学な人たちが、自分なりの評価軸で何らかの対象を吟味し、自分の評価と他人の評価を戦わせる、というマッチョなイメージを思い浮かべてしまいます。ところが阿部さんはあえてその言葉を使わないことで、「方法論さえわかっていれば誰でもテクスト分析に参加できますよ」と伝えているのだと思います。

AW本でもそうでしたが、阿部さんは研究や「批評」を、「センス」というエリート主義的で排他的な、でもきわめてぼんやりした価値観から切り離しています。そもそも「センスがある人」ってどういう人なんでしょう? もし「あなたセンスないね」と誰かに言われたら、絶望こそすれ、その意味がわからないので改善しようがありません。また、「センスあるね」と言われても、嬉しいかもしれませんが、自分のどこがいいのか理解するのが難しいはずです。

本書のある箇所で阿部さんは「感度」という言葉を使っていますが、本来はそこは「センス」という言葉が使われるはずのところ、あえて「感度」と言い換えているのではないかと推測しました。「センス」は学べなそうな響きがあり、もともとセンスがある人だけに与えられる称号のような気がしますが、「感度」は方法論さえわかっていれば鍛えられるし、身につけられる、と阿部さんは言いたいはずです。

AW本に続き、TA本もまた、論文を書く行為の民主化である、と思いました。選ばれしセンスある人の高邁な営為ではなく、誰もが参加可能な一種の「ゲーム」と割り切ること。方法論ありきの考えに反発する人もいるかもしれませんが、私はこういう考え方に賛同します。

この本を読みながら、私が院生時代、研究とは「センス」がよくて「頭がいい」人たちのみに許された特別な行為で、凡人の自分にはとても無理だと思って、研究を何度も諦めようとしたことを思い出しました。その時に、こういう本があれば救われたような気持ちになったでしょう。そして、私と似たような苦労をしている人がいるなら、阿部さんの本を手に取ってみてください。ただし順番にはお気をつけて。TA本を読んでからAW本を読む、というのがお勧めです。

2026年7月13日月曜日

福嶋亮大さんとの対談がオンライン公開されました

先日、昨年10月に行った福嶋亮大さんとの対談が活字化されたことを報告しましたが、こちらがさっそくオンラインでも公開されました:https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/records/2002798。一定期間を経ないと公開されないと思っていたのですが、印刷と同時にオンライン公開だったようです。

ご興味がある方はぜひお読みください。

2026年7月7日火曜日

福嶋亮大さんとの対談が活字化されました

昨年10月に、立教大学アメリカ研究所主催で「メルヴィル・アメリカ・世界文学」と題して福嶋亮大さんと対談を行いました。その際の対談が、同研究所の機関誌である『立教アメリカン・スタディーズ』で活字化されました。

書誌情報としては以下の通り:

古井義昭・福嶋亮大「メルヴィル・アメリカ・世界文学」『立教アメリカン・スタディーズ』第48号、2026年、pp. 103-46。

質疑応答を含め、二人が話したことをすべて掲載してもらい、なんと40ページ越えの大容量です。メルヴィルに関する福嶋さんの鋭いコメントをたくさん読めるので、ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思います。

私個人としては、福嶋さんからメルヴィルについて新鮮な視点を学べたことはもちろん、この対談がきっかけで新たに決まりそうな仕事もあったりして、とてもいい経験となりました。企画していただいたアメリカ研究所所長の舌津智之先生に感謝です。

一定期間が経つとリポジトリに登録されてオンラインで読めるようになるはずですが、もし読みたい方がいれば私までご連絡ください。





2026年6月29日月曜日

エミリィ・ディキンスン学会のシンポに登壇します

先週末にメルヴィル『戦争詩集』をめぐるシンポに登壇したばかりですが(来ていただいた方々、ありがとうございました)、今週末はディキンソンの詩についてのシンポに登壇します。

詳細はエミリィ・ディキンスン学会のHPから:https://emilydsjp.blogspot.com。該当箇所を抜粋すると以下の通り:

II. シンポジアム (14:20~16:20)

「“This Chasm, Sweet, upon my life” (F 1061 / J 858)を読む」

         司会・講師     東京理科大学     金澤淳子

            講師     立教大学         古井義昭

            講師     慶應義塾大学  小泉由美子

"This Chasm, Sweet"という非常にマイナーなディキンソンの詩一つを、3名の登壇者各自の視点からじっくりと論じるシンポです。先行研究もほぼ存在しないような詩なので、登壇者各自の読み方が問われるようなシンポになると思います。詩のテクストはこちらから:https://allpoetry.com/This-Chasm,-Sweet,-upon-my-life

ディキンソンについては、最初の単著で一章を割いて論じたほか、昨年出した共著でも論じたことがありますが、今回のように専門家の前で話すのは初めてで、かなり緊張します。

これで今年4回目の学会発表、一ヶ月のうちに3回目の学会発表となり、もうさすがにヘロヘロですが、いい発表ができるようもう一息頑張ります。興味がある方はいらしてください。



2026年6月26日金曜日

明日の東京支部シンポはオンライン

明日、アメリカ文学会東京支部で開催予定のBattle-Piecesをめぐるシンポですが、台風の影響で対面ではなくオンライン開催となりました。

ZoomのURL等、詳細は以下の学会HPをご覧ください:https://www.tokyo-als.org/2026/06/news-11/


2026年6月11日木曜日

メルヴィル『戦争詩集』に関するシンポに登壇します

6月27日(土)の日本アメリカ文学会東京支部例会にて、ハーマン・メルヴィル『戦争詩集』をめぐるシンポが開催されます。シンポのタイトルは「詩人メルヴィル再考:分断の時代にBattle-Piecesを読む」というものです。HPの情報はこちらから:https://www.tokyo-als.org/2026/06/%e3%80%882026june_meeting%e3%80%89/


私はこのシンポに司会兼発表者として登壇します。このシンポのコーディネーター役でもあるので、シンポの趣意文も執筆しました。趣旨文、各発表の要旨は上記のHPにありますが、まず趣旨文は以下のとおり:

 ちょうど160年前、ハーマン・メルヴィルにとって初の詩集 Battle-Pieces and Aspects of the War (1866)が出版された。南北戦争終結の翌年のことである。主に小説で知られているメルヴィルだが、実はキャリア全体を見れば、詩人としての活動時期のほうが小説のそれよりも長い。1857年に最後の長編小説 The Confidence-Man を出版して以降、メルヴィルは詩作品の執筆に移行し、晩年まで詩集を出版し続けた。メルヴィル研究においては、21世紀に入ってから「詩人メルヴィル」を再評価する動きが活発に続いており、その機運のなかでもっとも議論されてきたのがこの Battle-Pieces である。しかし、その難解さゆえ、日本のアメリカ文学研究者のあいだでこの作品が実際にどれだけ読まれているか、あるいは読まれたとしてもどれだけ理解されているかは心もとない。ところが、本作の全訳『南北戦争詩集――近代総力戦のまなざし』(牧野有通監訳、宇野雅章・斎木郁乃・貞廣真紀訳、小鳥遊書房、2025年)が昨年上梓され、日本においてメルヴィルの詩作品を読み、評価する環境が整いつつあるといえる。

 そこで本シンポジウムは、登壇者各自の Battle-Pieces 読解を通じて「詩人メルヴィル」の立ち位置を再考する機会としたい。また、現代においてこの詩集を読解することとは、世界的に政治的分断が深まる現代に生きるわれわれ自身を逆照射することにもつながるだろう。特にアメリカ国内では政治的対立が南北戦争の再来を予期させるほどに深刻化しており、「南北戦争」は遠い過去の記憶として片付けることはできなくなっている。苛烈な分断の時代に生きたメルヴィルは、この詩集を通じてどのような文学的応答をしたのだろうか。なぜその応答は小説ではなく詩でなければいけなかったのか。このシンポジウムを機に、 Battle-Pieces を読む意義、この詩集がはらむ問題点、詩人メルヴィルの評価などの諸問題を幅広く考えてみたい。

次に、私個人の発表要旨は以下のとおり:

<発表要旨>

 本発表は、メルヴィルの詩集 Battle-Pieces が代名詞の使用をめぐる言語戦略により、いかに南北の政治的分断に抵抗しているかを検討するものである。本作が出版された南北戦争直後には、南北双方の地において戦争体験を謳い上げる大量の詩作品が出版されたが、その多くは「我々(we)」と「彼ら(they)」という代名詞を用いて南北の分断を助長するものであった。一方、 Battle-Pieces を通じて南北融和のヴィジョンを提示しようとするメルヴィルは、代名詞の指示対象を曖昧にすることで、北部と南部を二項対立的な友敵構造に収めることを回避し、より包括的な「アメリカ」という共同体へと昇華しようとしている。

 本発表では、そうしたメルヴィルの試みが結果的に失敗していると示したうえで、その失敗をむしろ肯定的に評価してみたい。“we”という主語を通じてメルヴィルが示す国家の統一的ヴィジョンは、その不可能性ゆえに、分断されたままの個の姿(pieces)を図らずも描き出しており、政治共同体に回収されない個人の姿を提示できているからである。

 ただ、メルヴィルのそうした試みは肯定的にのみ評価しうるものでは決してない。南部白人といういわば「親密な他者(intimate others)」ともいうべき存在を“we”のヴィジョンに半ば暴力的に包摂しているとすれば、メルヴィルは黒人という存在を徹底的に描けていないからである。“we”と“they”という二項対立は、その構図の外部に位置する黒人という第三の存在を不可視化してしまうのであり、その意味で黒人は「残余の他者(residual others)」といえるだろう。本発表では、代名詞の撹乱的使用を通じた政治的分断の超克の試みを詳細に検討することで、その達成と限界を見極めてみたい。

趣意文にもあるとおり、メルヴィルの詩は専門家のあいだで長らく議論されてきたものの、日本ではなかなか専門家以外の読者には読まれていないという事情があります。非常に難解なので、それも無理はありません。その点で、『戦争詩集』の完訳が昨年出版されたことは非常に大きな意義を持ちます:https://www.tkns-shobou.co.jp/books/view/730

私は以前、研究仲間と『戦争詩集』の読書会を行い、一年かけて精読しましたが、それでもわからないことが多々あり、今回の翻訳のおかげで自分がいかに読めていなかったがわかりました。あと、現在は『クラレル』という長編詩の読書会もやっているのですが、月20ページのペースで読んでいて、これもまた難しい(はるかにこちらのほうが難しい)。メルヴィルの詩はとにかく難しいです。『クラレル』にも翻訳があるのですが、こういう難解な作品を翻訳してくれる訳者は偉大と思わされます。感謝しなければいけません。

今回のシンポに登壇するのはみなメルヴィルの専門家の方たちですが、メルヴィルの詩を読んだことがない、でも興味はある、という方にも面白がっていただけるようなシンポにしたいと思って準備しています。私個人は、政治分断が進む現代だからこそ、この詩集を読む意義があると思っており、その点について発表を行う予定です。

ご興味があればぜひいらしてください。

2026年5月23日土曜日

アメリカ学会のシンポジウムに登壇します

6月6日(土)から7日(日)にかけて、東京学芸大学にてアメリカ学会年次大会が開催されます。

今年度はアメリカ学会創設60周年ということで、大会初日の6日に、60周年を記念したシンポに登壇します。

シンポは"The Future of American Studies under the Second Trump Administration"というテーマで、私は、アメリカに対する心理的な壁が作られている状況だからこそ、なおさら海外発信の意義が増している、という内容を話す予定です。他の登壇者は梅川健先生、三牧聖子先生のお二方で、本シンポは英語で行われます。

詳細は以下のとおり:


非会員の方も当日は千円の参加費を払えば参加できるとのこと。他にも面白そうな発表や企画があるので(7日午前には斎木郁乃先生による『白鯨』のご発表あり)、ご興味があればご参加ください。

6月6日のこのシンポを皮切りに、7月4日までの一ヶ月の間に三つのシンポに登壇する予定です。6月下旬にはメルヴィル『戦争詩集』に関して、7月頭はディキンソンのマイナーな詩作品について発表予定。ちょっと予定が詰まりすぎなのですが、なんとかいい発表ができるように頑張ります。この後に続くシンポについても追って報告します。

2026年5月16日土曜日

American Literatureに論文がアクセプトされました

ナサニエル・ホーソーン『緋文字』に関する論文が、American Literatureにアクセプトされました。書誌情報は以下の通りで、来年中ごろまでには出版予定です:

Furui, Yoshiaki. "Somewhere Else in America: Hawthorne's Asylum Imagination." American Literature, vol. 99, no. 2, 2027, forthcoming. 

この論文は、現在取り組んでいるアサライムに関しての単著プロジェクトの一環で、『緋文字』を移民文学として読む試みです。移民を受け入れる「アサイラムとしてのアメリカ」という神話をホーソーンが一方では批判しながらも、結果的にその神話の構築に貢献してしまっていることを論じたものです。

私のプロジェクトでは「移民の避難所」としてのアサイラムと、19世紀中葉に勃興した「公的収容施設」としてのアサイラムのダブル・ミーニングに注目していますが、本論でもイギリスからの移民たるへスターが、アサイラムの地であるはずのボストンで、刑務所という違う意味のアサイラムに収容されて登場する点を考察しています。

これまで海外誌には10回以上論文掲載をしてきましたが、American Literatureのような分野を代表するトップジャーナルへの掲載は一度もできていませんでした。トップジャーナルへの論文掲載は、サバティカル中の2023年ころ、バークレーで日本語単著を書き上げているときに今後の目標と定め、そこに向けて自己改造(作品論からの脱却)を行ってきました。3年越しの努力が報われたことになり、非常に感慨深いです。

実は以前、サバティカル中に書き上げた渾身の論文をAmerican Literatureに投稿したのですが、もろくもデスクリジェクションを喰らいました(その論文はお蔵入り状態)。つまり、査読にすら回してもらえず、エディターが読んだ段階でハネられたということです。そこで一回、方法論的に自分にはトップジャーナルは無理かもしれないと諦めかけたのですが、やはりアメリカ文学研究者として同誌に論文を載せたいという思いが強く、今回が二度目のチャレンジとなりました。

今回のアクセプトは正直言って意外でした。複数の作家を並べて論じることがほぼスタンダードとなっている同誌で、ホーソーンというキャノン作家、さらには一番有名な『緋文字』を扱う論文は取り合ってもらえないのではないかと思っていたからです。「移民」という着眼点の新規性、さらには移民をめぐるアメリカの情勢もあって、トピック設定がタイムリーだったのかもしれません。

とはいえ、自分のこれまでの論文(作品論に特化したもの)と今回の論文がどう違うのかについては、明確に自己分析できており、それはいずれ何かのタイミングでお話しする機会があればと思いますし、このブログでもおいおい書いていきたいと思います。

一つ確かに言えるのは、トップジャーナルだから「すばらしい論文」を自動的に保証するのではなく、中堅誌とはあくまで狙っている読者層や「すばらしさ」の定義がそもそも違うということです。査読の厳しさと難易度でいったら、メルヴィル専門誌Leviathan以上の雑誌はないと今でも思います。これまで12回海外誌に論文を出してきて、Leviathanほど査読が厳密な雑誌はありませんでした。たとえばホーソーン研究者が今回の論文を読んだら、専門的にはいろいろと文句もつけたくなる内容かもしれませんが、そもそもがそういう論文ではないし、そういう媒体ではないということです。

参考までに、アクセプトに至るタイムラインを記しておきます(私は論文を書き始めた日付などをすべて記録しており、以下は簡略版)。

2025年2月:論文書き始め

2025年8月:論文投稿

2026年2月:Revise and Resubmitの知らせ

2026年3月:改稿原稿を提出

2026年5月:アクセプト!

R&Rの知らせを受けた際、一ヶ月以内に改稿原稿を送るようにと指示されましたが、そのような短期間で改稿を求められるのは、これまでの経験でもかなり珍しいことでした。minor revisionのときくらいです。査読レポートも、2名の査読者ともかなりポジティヴな内容で、「これはいける」という感触があり、実質的に改稿は3日くらいで終えることができました。今考えると、minor revisionの範疇だったのかもしれません。とはいえ、正式にアクセプトの知らせを受けるまでは気が気ではなかったです。

今回のアクセプトで、40代に入ってからもまだまだ成長できるということがわかって嬉しいですし、トップジャーナルに載るためのロジックというか方法論もわかったところがあるので、今後も海外誌へのチャレンジを続けていきます。

今回の論文は、執筆中の単著の核となるアイディアを詰め込んだ論文ですので、これを弾みにして単著出版に向けて研究を続けていきます。あと5年以内くらいには出せれば、と思って引き続き頑張ります。

2026年4月8日水曜日

『誘惑する他者』書評

ほぼ同時期に、拙著『誘惑する他者:メルヴィル文学の倫理』の書評が二つ出ました。

まず一つは、日本アメリカ文学会『アメリカ文学研究』第62号に掲載された、竹内勝徳先生(鹿児島大学)によるものです。


各章を丁寧にご紹介いただきながら、私がメルヴィルを読み解く上で重視してきた郵便のモチーフをハイライトしてくださっています。「「読むことの倫理」という独創的な理念をメルヴィル文学の中に読み取り、その豊穣なテクストを読者の眼前に提示したという点で、本書はメルヴィル研究者にはもちろん、全ての文学研究者に一度をお勧めしたい研究書である」(53)と書いていただきました。

もう一つは、アメリカ学会発行『アメリカ研究』第60号掲載の、石原剛先生(東京大学)によるものです。

こちらも同様に本書の内容を丁寧にご紹介いただきつつ、文学研究ではなく、アメリカ研究の学術誌に掲載ということもあり、拙著の学際性を強調していただきました。また、本書のほとんどが欧米の査読誌に掲載された英語論文を元にしていることに触れ、「つまり、欧米の学問水準のハードルをクリアした成果が結実した形だ。その意味で本書は、これから世界への発信を目指す特に若手研究者にとって素晴らしい目標を提示してくれている」(231)と書いていただきました。

素晴らしいご書評をお寄せくださったお二方には心より感謝申し上げます。

出版から早くも2年近く経ち、これまで多くの方々に書評していただきました。改めて情報をまとめます。書評だけでなく紹介も含めてまとめてみます。

1、『図書新聞』(2024年07月27日号、2024年上半期読書アンケート/巽孝之・評)

2、『週刊読書人』(2024年12月20日号、2024年回顧/長岡真吾・評)

3、日本メルヴィル学会『Sky-Hawk』(第12号、通巻39号/巽孝之・評)

4、『英米文学』(第85号、2025年03月19日発行/梅澤琉登・評)

5、『アメリカ太平洋研究』(vol.25、2025年03月発行、pp. 133-40/吉国浩哉・評)

6、アメリカ学会『会報』(第217号、2025年4月30日発行、p. 16/鈴木一生・評)

7、日本アメリカ文学会『アメリカ文学研究』(第62号、2026年3月発行、pp. 47-53/竹内勝徳・評)

8、アメリカ学会『アメリカ研究』(第60号、2026年3月発行、pp. 227-31/石原剛・評)

このようにまとめてみると、さまざまな媒体でご紹介いただいたことがわかります。書評をお書きいただいた皆さまには心よりの感謝を。引き続き『誘惑する他者』をお願いします。

2026年3月27日金曜日

国際メルヴィル学会参加記がLeviathanに掲載されました

メルヴィル学会の機関誌Leviathanに、昨年6月にコネチカット大学で開催された国際メルヴィル学会の参加レポートが掲載されました:https://muse.jhu.edu/article/985918

Furui, Yoshiaki. "Melville Studies across the Oceans." Leviathan, vol. 28, no. 1, 2026, pp. 137-41. 

日頃書いている論文とは違う種類の文章なので、少し軽めの英語で書く経験が私にとっては新鮮でした。メルヴィル研究のさらなる国際化の重要性について述べたり、私が学会で感じた雑感などを書いています。

この号には私の他にも複数名による参加レポートが掲載されていますし、Photo Galleryもあって、学会の様子を垣間見ることができます。ご興味があればぜひご覧ください。

そういえば、今号から編集長がBrian Yothers氏からJennifer Greiman氏に交代となったようです。私が初めてLeviathanに論文掲載したのはもう13年くらい前のことで、その頃の編集長はJohn Bryant先生でした(その後がSamuel Otter先生)。その頃はまだ15号とかで、比較的新しいジャーナルという感じでしたが、今や28号。時間の流れを感じます。

2026年3月17日火曜日

C19体験記


C19で学会発表をしてきました。C19は初めての学会参加だったのですが、非常にいい経験ができました。自分にとっての備忘録も兼ねて、少し雑感を記しておきます。

学会会場のHyatt Regency。アメリカの学会は大学でやることもありますが、大きな学会はホテルのフロアを貸し切ってやることもあります。宿泊もここだったので、基本的にはずっとホテルの中にいました。

これまでの発表履歴を振り返ると、私はMLA, ALA, Melville Conference, MELUS等々のアメリカの様々な学会で10回以上発表してきましたが、それぞれの学会に特徴はもちろんあり、なかでもC19は毛色が違うというか、特徴的な何かを感じました。

その「何か」を探ってみると、まずは作家協会の学会(e.g. Melville Conference)でもないし、作家協会の集まり(ALA)でもないし、全てを統合した学会(MLA)でもなく、19世紀アメリカ文学に特化した学会なので、時代区分、作家、作品など、あらゆる面でほどよく幅広く網羅している学会、という感じです。

そのため、私がこれまで何度も参加しているMelville Conferenceでは見かけないような大物研究者もたくさん来ていたし、発表内容も多岐にわたっていました。

あとは、いわゆる「キャノン」からの意識的な距離を感じます。唯一、私が発表したパネルはメルヴィルに特化したものでしたが、メルヴィルは例外的で、他に白人キャノン作家の名前(ホーソーン、ディキンソン、ジェイムズなど)を冠したパネルは一つもありませんでした。学会誌のJ19もそうですが、人種的・ジェンダー的多様性を強く意識した学会であるとは確実に言えるでしょう。以前、論文を投稿した時にもらった査読コメントでもその点を感じたことがあるので、改めてこの学会の特性を把握できた気がします。

逆に言うと、多様性を目指すこのC19にあってもメルヴィルは特別な位置を占めているのだな、ということも認識できました。今後もアメリカ・イギリスのUPからメルヴィルに関する単著がいくつか出るらしいし、たとえば今のアメリカでホーソーンやジェイムズに関する単著が出るというのはあまり想像できない、ということも他のアメリカ人研究者とも話しました。それはメルヴィル作品が政治的なトピックを扱っていることと関係しているのかもしれない、と個人的には思っています。

さらに逆に言うと、なかにはこうした学会に距離を感じる研究者もいるだろうし、そういう人はALAや作家協会の学会に行ったりするのかもしれません。

最終日、最後のパネルも大盛況。


発表のトピックの傾向としては、大きく言うと「環境」に関する発表が多かったです。Plant Studies, New Materialism, Anthropocene等々。これはメルヴィル研究の動向にも言えます。また、シンシナティというアボリショニズムゆかりの場所で開催されたということもあり、Frances E. Harperをはじめとする黒人作家に関する発表が非常に多かったです。あともちろん、ストウに関する発表も。

J19の編集者2名による、論文審査プロセスを教えてくれる講座みたいなものもあり、こちらも参加しました。だいたいが知っている内容でしたが、何度も強調していたのは「研究は対話」である、という点です。一人の編集者が、論文を書くことはパーティでの会話に途中から参加するようなものだ、と言っていて、これはまさに私がいつも学生指導で言っていることなので、膝を打つような思いをしました。我ながら、学問的対話を表現するのにこれ以上に適切な比喩をいまだに思いつきません。

あとは採択率とか、審査に至る詳細なプロセス(査読者を見つけるのが大変)とか、編者サイドの視点の話などをいろいろ聞かせてもらい、J19にいずれ論文を載せたい身としては有益な情報を得ることができました。非常に審査が厳しい雑誌なので、編集者が出版の可能性を見出してくれないとそもそも査読に回らないし、Revise & Resubmitになる(その結果落ちるにしても)のはもっと価値がある証拠、とわかって励まされたところがあります。アメリカの雑誌では、投稿してもそもそも査読にすら回してもらえないdesk rejectionになる、というのはよくあることです。

最後にこれは学会とは直接関係ありませんが、シンシナティという土地に行けたのは非常に良かったです。アボリショニズムの震源地であり、地下鉄道のハブだった場に身を置くだけで、『アンクル・トムの小屋』の世界をよりリアルに感じられた気がします。

学会参加の隙間時間にはHarriet Beecher Stowe Houseに行ってツアーに参加し、


National Underground Railroad Freedom Centerに行って奴隷制にまつわる展示を見学し、


オハイオ河対岸に見えるケンタッキー州を見ながら、イライザ・ハリスの有名な一場面に思いを馳せたりしました。


そういえば肝心の私の発表ですが、「バートルビー移民」説は(説得力は別として)聴衆に面白がってもらえたようです。何人かの方からポジティブな感想を聞くことができました。この論は、いずれ出すことになるだろう単著に収録予定。

元指導教員のBen Reiss先生と二人でじっくり話す機会があり、学会発表の内容だけでなく、現在のアサイラム単著プロジェクトについてもアイディアを話し、いろんなアドバイスももらえてよかったです。彼の元指導学生たち5名で彼を囲むエモリー同窓会もやったりと、個人的に感慨深い学会出張となりました。今後もできれば継続的にC19に参加していきたいと思います。

2026年3月10日火曜日

C19プログラム

私が今週参加するC19のプログラムがようやく公開されました:https://www.c19underground.com/program

それにしてもすごい数の発表数、イベントです。数百はあるんじゃないかと思います。日本の学会とは文字通り桁違いで、これだけ研究者の数がいれば、そりゃ簡単に論文の査読に通らないわけだ、と思います。

プログラム上で専任教員、非常勤、大学院生の区別をしないのもアメリカ的です。そもそもアメリカの学会は基本的に自分でプロポーザルを送って発表を申し込むシステムなので、偉い先生だろうと院生だろうと区別してもしょうがないわけです。こういう民主的なところはとてもいいと思います。違う文化に触れると、日本の学会が立場を区別したがるのはなぜなのか、疑問が湧いてくるところです。誰が発表しようと、あくまで内容で評価されるべきでしょう。

また、このプログラムを眺めているだけでも、今の研究動向が掴めるはずです。やはりキャノン作家の研究は少ないですね。自分の発表だけでなく、できるだけ耳学問もして帰ってきたいと思います。



2026年3月7日土曜日

C19で学会発表をしてきます


2026年3月12日-14日にアメリカのシンシナティで開催されるC19: The Society of Nineteenth-Century Americanistで学会発表をしてきます:https://www.c19underground.com/



私は"Bartleby, the Immigrant: Melville's Asylum Imagination"というタイトルで、「バートルビーはアイリッシュ系移民である」という新説を唱える発表になります。発表要旨は以下の通り。

Abstract
     This paper argues that the eponymous character of Herman Melville’s “Bartleby, the Scrivener,” a mysterious scrivener whose origins are unknown, is best understood as an Irish immigrant and asylum seeker. I ground this novel interpretation, which has not been previously advanced in scholarship, in the specific societal and historical contexts in which the story is set.

     In the mid-nineteenth century, New York City, where Bartleby finds a job as a scrivener, attracted an unprecedented number of European immigrants, particularly from Ireland due to the Great Potato Famine (1845-52) and from Germany and France as a result of European Revolutions of 1848. The great influx of immigrants fueled a virulent nativism that culminated in the formation of the Know-Nothing party. In short, New York was a crucible for the era’s debates on immigration. Furthermore, the Tombs, a city prison which incarcerates Bartleby, housed many immigrant inmates, and the institution was located near the Irish slum called Five Points. Given this setting, the immigrant presence in New York forms an unavoidable, if unstated, context of the story. However, the narrator omits any mention of immigrants. This conspicuous silence is not an oversight but Melville’s narrative strategy that exposes the narrator’s blindness, thereby inviting the reader to fill in the void that the narrative leaves.

     This paper not only offers a new interpretation of “Bartleby” but also aims to highlight Melville’s sustained engagement with immigration, a topic that has not received the adequate critical attention it warrants. Beginning with Redburn through Moby-Dick and Pierre, Melville persistently portrays myriad issues concerning immigration ranging from nativism to the national ideal of “asylum for mankind.” The immigration issues which I argue are inherent in “Bartleby” must therefore be understood within a broader context of the author’s career-long interrogation of America’s promise as an “asylum for mankind."

今回の発表は現在取り組んでいる「アサイラム」をめぐる単著プロジェクトの一貫です。

C19はJ19という学術誌を出版しており、創設からまだ10年ほどですが、19世紀アメリカ文学を代表する学会/ジャーナルとなりました。私も以前、J19で特集号を企画したことがあります:https://muse.jhu.edu/article/843871/summary

そうしたメジャーな学会ゆえ、19世紀アメリカ文学研究の錚々たる顔ぶれが一堂に会す機会となります。せっかくなので、ネットワーキングも頑張ってきたいと思います。また、母校エモリー大学での指導教員だったBenjamin Reiss先生とも10年ぶりにお会いする予定もあり、それも楽しみです。

いい機会なのでReiss先生の紹介もすると、Reiss先生はあまり日本では知られていないと思いますが、障害学研究の大家でもあります(それ以外のお仕事も多々あり)。最近は睡眠をテーマに文化史的な研究もされています。彼のお仕事はこちらのHPから。凄まじく頭の切れる人で、まったくアプローチの違う私の研究にも常に鋭いコメントを返してくださり、研究者・教育者としても尊敬している、私にとってのロールモデルです。

また、学会が開催されるシンシナティといえば、逃亡奴隷、『アンクル・トムの小屋』で有名ですが、今回の大会のテーマはまさに"Underground"になっています。多くの発表を聞いて耳学問をしてきます。

学会の感想はまた後日。頑張ってきます。

2025年12月23日火曜日

2025年の仕事

気づいたら年末。今年の仕事の振り返りをしたいと思います。

【書いたもの】

*査読論文

Furui, Yoshiaki. "Ventriloquizing the South: Reading Melville across the Civil War." Journal of American Studies, vol. 58, no. 4, 2024, pp. 489-510. 

*共著

「痛みをまなざす:ディキンソンの脱制度的想像力」『病と障害のアメリカンルネサンス: 疫病、ディサビリティ、レジリエンス』髙尾直知・伊藤詔子・辻祥子・野崎直之編著、小鳥遊書房、2025年、pp. 171-94。

*分担執筆

『アメリカ文学史への招待ーー豊饒なる想像力』橋本安央・ 藤井光・ 坂根隆広編著、法律文化社、2025年(「ヘンリー・デイヴィッド・ソロー」「ウォールデンーー『森の生活』を担当)。

*学会プロシーディングズ

 「Breaking Englishーーメルヴィルのテクストスケープ」『Sky-Hawk: The Journal of the Melville Studies of Japan』第12巻、2025年、pp. 69-71。  

【口頭発表】

*学会発表

1、「博論から単著へーーアメリカ大学出版局奮闘記」シンポジウム「論文投稿と学術書出版のジオポリティクスーー海外ジャーナルとアメリカ大学出版局」、 筑波大学、2025年3月14日。

2、"No Asylum for Whalers: Japan in Moby-Dick." Oceanic Melville: Fourteenth International Melville Society Conference, University of Connecticut, 2025年6月17日.

*その他

1、「メルヴィル・アメリカ・世界文学」 福嶋亮大氏との対談、立教大学アメリカ研究所公開研究会、2025年10月14日。

2、「The Blue Humanities:海、みずうみ、川の環境人文学」 宮地尚子氏、山本洋平氏とのラウンドテーブル、明治大学、2025年12月5日。 

【受賞】

アメリカ学会第6回中原伸之賞(『誘惑する他者』に対して)


また、来年以降の予定、進行中の仕事は以下の通り。

【共著】

1、A Cultural History of Solitude in the Nineteenth Century, edited by Catherine Samiei and Julian Stern, Bloomsbury (2026年に出版予定。19世紀アメリカ文学における孤独を論じたチャプターを寄稿)

2、 The Routledge Companion to Herman Melville, edited by Cody Marrs and Brian Yothers, Routledge (2027年に出版予定。『白鯨』を中心に、メルヴィル作品における日本表象を論じたチャプターを寄稿)

3、日本の論集にメルヴィル『ピエール』論を寄稿。2026年に出版予定。

【口頭発表】

1、2026年3月にアメリカの学会でメルヴィル「バートルビー」に関して発表予定。

2、2026年6月に国内のシンポジウムでメルヴィル『戦争詩集』について発表予定。

3、2026年7月に国内のシンポジウムでディキンソンの詩について発表予定。

【査読中の論文】

1、ポーのGordon Pym論を海外ジャーナルに投稿、査読中。

2、ホーソーン論を海外ジャーナルに投稿、査読中。

3、ブロックデン・ブラウン論が海外ジャーナルでRevise & Resubmitとなり、改稿中。

ここ2年は校務と学会仕事が本当に忙しく、特に今年は重い役職に就いていたため、思うように研究する時間を取ることができませんでした。とはいえ、こうまとめてみると忙しいなりに研究は頑張ったように見えます。細切れの時間でも研究できるよう、時間の使い方を見直す時期に来ているのを感じます。

今の自分のプライオリティは、なにより海外の有力ジャーナルで英語論文を出すことです。それがうまくいけば、次のアメリカで出す単著に繋げることができるはずで、来年はなんとかアクセプトをもぎ取りたいです。忙しさを言い訳にせず、頑張ります。

2025年11月21日金曜日

シンポジウムのお知らせ

12月5日に以下のシンポジウムに登壇します。参加費・登録不要とのことですので、ご興味があれば奮ってご参加ください。


The Blue Humanities

海、みずうみ、川の環境人文学

日時:2025年12月5日(金) 16:30〜20:00 

会場:明治大学駿河台キャンパス アカデミーコモン8階 308E教室


16:30-18:00  青の創発

序論「ブルー・ヒューマニティーズとは何か」山本洋平・小島敬太(明治大学) 

基調講演「多島海の思考—世界との関係を編み直すために」

中野真備(甲南女子大学)


18:10-18:50  ブルー・ヒューマニティーズの可能性

発表1「海はここに—『ブルー・マシン』をめぐって」林真(翻訳家、独立研究者)

発表2「海と詩」管啓次郎(明治大学)


19:00-19:30  ラウンドテーブル

古井義昭(立教大学) 宮地尚子(一橋大学) 司会 山本洋平


19:30-19:50  全体ディスカッション



主催:明治大学理工学研究科建築・都市学専攻総合芸術系〈総合芸術系〉

共催:KAKEN基盤研究B(研究代表者:山本洋平)「アメリカ(中/南)西部文学におけるトランスリージョナリズムとエコフェミニズム」(23K20452)


2025年11月5日水曜日

メルヴィル『戦争詩集』に関する論文が出版されました

 Cambridge University Press発行のJournal of American Studiesに、ハーマン・メルヴィル『戦争詩集』に関する論文が掲載されました:https://www.cambridge.org/core/journals/journal-of-american-studies/article/abs/
-the-south-reading-melville-across-the-civil-war/E8CAB90FB003B664B125B92E01BED98A?utm_campaign=shareaholic&utm_medium=copy_link&utm_source=bookmark

書誌情報は以下の通りです:

Furui, Yoshiaki. "Ventriloquizing the South: Reading Melville across the Civil War." Journal of American Studies, vol. 58, no. 4, 2024, pp. 489-510. 

この論文はすでに先行オンライン公開されていたので、「新作論文」という感じではありませんが、やはり正式に出版されたというのはとても嬉しいです。

この論文、出版までに非常に時間がかかっており、論文を書き終えたのはちょうど3年前、JASにアクセプトされてから今回の出版まで一年半かかりました。長い・・・。

論文データをほしいという方がいれば個別にご連絡ください。



2025年9月12日金曜日

福嶋亮大さんとの対談イベント「メルヴィル・アメリカ・世界文学」

来月10月14日(火)17時半から、立教大学にて福嶋亮大さんとメルヴィルをめぐって公開対談します。参加はどなたでも歓迎、無料、参加の仕方は対面・オンラインどちらも可です。詳細はこちらのリンクから:https://www.rikkyo.ac.jp/events/2025/10/mknpps000003b1xp.html。詳細は末尾にも記しておきます。

先日、拙著『誘惑する他者:メルヴィル文学の倫理』に対してアメリカ学会中原伸之賞が授与されましたが、本イベントはその記念のような位置付けで、このように日の目を見ることは著者としては本当にありがたい限りです。

対談相手の福嶋亮大さんは文学部の同僚でもあり、近著『世界文学のアーキテクチャ』(PLANETS、2025年)ではメルヴィルに多くの紙幅を割き、大きな枠組みの中で『白鯨』を論じてらっしゃいます。

これがとてつもない本で、読んでいて文字通り圧倒されました。世界のあらゆる文学を縦横無尽に論じるその博識ぶりもさることながら、「世界が主体に先行する」という大きなテーゼを展開するダイナミックな論の運びにも感嘆しました。福嶋さんは2歳くらい上のほぼ同世代なのですが、そうした人がこのような壮大な本を書いている、ということに私は大きな刺激を受けています。

両書にはコミュニケーション革命、郵便、他者、近代的自我など、トピックの点でさまざまな共通点があると思いますが、一方で私は「研究者」、福嶋さんは「批評家」という立場で、メルヴィル文学に対するアプローチはさまざまな点で異なっているはずです。それぞれ違う立場からメルヴィルという巨大な怪物に立ち向かうとき、一体何が見えてくるのか。私自身、この対談を非常に楽しみにしていますし、ご関心がある方はどなたでもいらっしゃってください。

***

「メルヴィル・アメリカ・世界文学」

https://www.rikkyo.ac.jp/events/2025/10/mknpps000003b1xp.html

【日 時】

2025年10月14日(火)17:30~19:30

【場 所】

対面会場:池袋キャンパス 11号館 2階 A203教室 

ハイブリッド開催(Zoomウェビナー)

【内 容】

『誘惑する他者――メルヴィル文学の倫理』で今年度のアメリカ学会中原伸之賞を受賞した古井義昭氏と、近著『世界文学のアーキテクチャ』でアメリカ文学に鋭利な洞察を加えた福嶋亮大氏に、それぞれの著書が提起する問題の射程を対談形式で語っていただく。両氏が高く評価するメルヴィル文学をひとまずの足掛かりとし、そこから、アメリカという国家の可能性と限界、さらにはグローバリズムに還元されない世界文学のありようをめぐり、両氏がご専門とする「研究」と「批評」の方法論が豊かに交わる地平を探りたい。

【報告者】

古井 義昭(フルイ・ヨシアキ)エモリー大学英文科博士課程修了(Ph.D.)。現在、立教大学文学部教授。専門は19世紀アメリカ文学。単著にModernizing Solitude: The Networked Individual in Nineteenth-Century American Literature(University of Alabama Press, 2019年/日本アメリカ文学会賞・アメリカ学会清水博賞)、共著に『病と障害のアメリカンルネサンス──疾病、ディサビリティ、レジリエンス』(小鳥遊書房、2025年)など。最新の論文として “Ventriloquizing the South: Reading Melville across the Civil War”(Journal of American Studies, vol. 58, no. 4, 2024)がある。

福嶋 亮大(フクシマ・リョウタ)京都大学文学部博士後期課程修了。現在、立教大学文学部文芸思想専修教授。文芸批評家。著書に『復興文化論』(サントリー学芸賞受賞作)『厄介な遺産』(やまなし文学賞受賞作)『辺境の思想』(共著)『百年の批評』『らせん状想像力 平成デモクラシー文学論』『ハロー、ユーラシア 21世紀「中華」圏の政治思想』『感染症としての文学と哲学』『メディアが人間である』など。

【司 会】

舌津 智之(本学文学部教授・アメリカ研究所所長)

【対 象】

学生、教職員、一般

【主 催】

立教大学アメリカ研究所

【申 込】

事前申し込みが必要です。

対面申込み:https://s.rikkyo.ac.jp/auingkzq

ウェビナー申込み:https://s.rikkyo.ac.jp/83blph9w



2025年8月9日土曜日

ローレン・バーラント『残酷な楽観性』刊行

ローレン・バーラント『残酷な楽観性』(岸まどか・ハーン小路恭子訳、花伝社)が近日中に刊行されます:https://www.kadensha.net/book/b10143590.html

このたび、訳者のお二方からご恵贈いただきました。ソフトカバーで、手に持った質感もよい感じです。原著を引き継いだカバーも非常に印象的です。


訳者の岸さんは大学院の同期で友人、ハーン小路さんは大学院の先輩と、縁深い方々のお仕事になります。

ハーン小路さんはすでに各方面・各種媒体でご活躍中なのでご存じの方も多いと思いますが、岸さんはアメリカにご在住なので、まだ知る人ぞ知る、という存在かもしれません。超優秀な研究者であり、理論の卓越した翻訳家でもある岸さんのお仕事をもっと多くの方に知ってもらいたいと勝手ながら思っています。以前もこのブログで、彼女の単著を紹介しました:https://yoshiakifurui.blogspot.com/2024/12/blog-post.html

バーラントの原著は私も読んだことがありますが、原著の出版は2011年と少し時間が空いているものの、希望を持つことがますます難しくなっている現代において、今こそ読まれるべき超重要文献です。これが日本語で読めるようになったのは非常に大きな意味があります。英語が難しいので、訳すのは大変だったろうなあ・・・と訳者の苦労が偲ばれます、ほんと。

私にとってバーラントといえば、ホーソーンを論じたThe Anatomy of National Fantasy: Hawthorne, Utopia, and Everyday Lifeを想起します。これもアメリカ文学研究では必読文献。他にも何冊も単著がありますが、『残酷な楽観性』がバーラントの著作の初めての翻訳とのこと。重要性のわりに意外ですが、原著が難しいので訳者が手を出しづらかったのでは・・・という気もします。

『残酷な楽観性』には充実した訳者解説もついており、バーラントを卓抜な訳文で読める贅沢な本です。興味がある方はぜひ。

2025年6月22日日曜日

国際メルヴィル学会に参加してきました

コネチカット大学で開催された国際メルヴィル学会に参加してきました。

会場となったUniversity of Connecticut, Avery Pointは海沿いのキャンパスで、今回の学会のテーマである"Oceanic Melville"にふさわしい会場でした。

自分の発表では『白鯨』における日本表象についての考察を行いました。こちらの論文バージョンは来年海外で出版の共著に収録予定。


また、"Global Imaginings"と題されたパネルでは司会を担当。登壇者のEmilio Irigoyen、Nick Spenglerとは久しぶりの再会で、たくさん話ができてよかったです。特にNickの発表は私が今やっているアサイラムの研究と共鳴するところが多々あり、今回聞いた発表の中で一番興奮しました。今後の研究の展望が開ける思いがしました。

他にも、バークレーでお世話になったSam Otter先生と再会したり、私の論文を読んだと言って感想を伝えてくれる方もいたり、私が論文を読んで感銘を受けた著者と直接話ができたり、さまざまなメルヴィル研究者たちと交流ができました。もとが社交的な人間ではないので、社交、社交の連続で疲れはしましたが、いろんな人脈を築けた貴重な機会となったのは間違いありません。

また、一緒にパネルを企画したPaul Hurhさんと数人でディナーをご一緒した際には、アメリカでの出版事情について話を聞くことができ、アメリカのUPから単著を出す、という私の現在のプロジェクトについてもやる気をもらいました。

それにしても、今回は(今回も)日本人研究者の参加が非常に目立ち、12、3名は発表していたはずです。アメリカの研究者たちからは、「なんで日本ではメルヴィル研究がこんなに盛んなんだ?」と何度も聞かれましたが、うーん、謎です。

2025年6月13日金曜日

国際メルヴィル学会に参加してきます

来週からアメリカのコネティカット大学で開催される第14回国際メルヴィル学会に参加してきます。

国際メルヴィル学会に参加するのは、2015年の日本開催大会、2019年のNY開催大会、2022年のパリ開催大会に続いて4回目です。毎回、世界中から多くのメルヴィル研究者が集い、メルヴィル研究の熱を感じられる貴重な機会です。また毎回のことですが、メルヴィル研究では日本の研究者のプレゼンスが目立ち、今回も10人以上の日本人研究者が発表をします。

私は発表と司会をそれぞれ一回担当します。発表に関しては以下の"Pacific Alterities"というパネルに参加します。

このパネルは、同じ登壇者のPaul Hurhさん(アリゾナ大学)と私で企画したものです。海外で発表はたくさんしてきましたが、パネルを企画したのは今回が初めてでした。Hurhさんには以前、私が企画したイベントに参加していただいた経緯があったり、私が彼の著書American Terror: The Feeling of Thinking in Edwards, Poe, and Melville (Stanford UP, 2015)を書評したこともあったりと、いろいろな縁が繋がって今回の企画に至りました。さらには彼の大学院時代の指導教員はSamuel Otterで、Samは私がカリフォルニア大学バークレー校で研究員をしていた頃の受け入れ教員でもあり、研究の世界というのはまさにsuch a small worldです。

また、私の発表内容はこれまでの研究者人生で初めての日本を絡めた内容となっています。来年に出版予定の海外から出る共著用に書いた原稿をもとに、『白鯨』における日本の他者性というテーマで発表します。

あともう一つ、司会を務めるパネルは以下のとおり:


登壇者のEmilioとNicholasは、以前Leviathanの特集号"Melville and Spanish America"で一緒に仕事をしたことがあり、そういう縁で司会の仕事が回ってきました。

こうしてみると、私もそこそこ長く研究していることもあって、それなりに海外の研究者とも関係性を構築してきたのだなと思います。今回の学会参加を通じて、さらに世界の研究者たちといい交流ができればと期待しています。

『まったく新しいテクスト分析の教科書』

阿部幸大さんの新著『まったく新しいテクスト分析の教科書』が出版されました。 すっかり阿部さんは売れっ子で、いまさら私などが紹介するまでもないのですが、このブログはおそらく文学研究に興味ある学生の方も読んでいるのではないかと思い、そういった方向けにおすすめしたいので、以下紹介してみ...