2026年7月29日水曜日

『まったく新しいテクスト分析の教科書』

阿部幸大さんの新著『まったく新しいテクスト分析の教科書』が出版されました。

すっかり阿部さんは売れっ子で、いまさら私などが紹介するまでもないのですが、このブログはおそらく文学研究に興味ある学生の方も読んでいるのではないかと思い、そういった方向けにおすすめしたいので、以下紹介してみたいと思います。

本書はご献本していただいて、手に取った当日に読んで、ご本人にも感想を送ったのですが、まったく同じようなことをここにも書こうと思います。

まず、本書は前著『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(以下AW本)と同じシリーズなわけですが、読む順番としては今回出た『テクスト分析』(TA本)を最初に読み、それからAW本に進むことをお勧めします。

AW本が「自分が持っているアイディアをいかに説得的かつ魅力的にプレゼンするか」という指南書だったとすれば、TA本は「自分が言いたいことを見つけるにはどうしたらいいか」という指南書です。もちろん、論文を書く場合の手順としては後者が先に来ます。論文とは、1)まず何を論じたいかを自分の中で見つけ(TA本)→2)そのアイディアを魅力的かつ説得的な形で表現する(AW本)、という行程を踏むものです。

AW本は、私からすると九万部も売れたのが不思議なくらい実は高度な本です。以前もこのブログで書きましたが、第一章「アーギュメントをつくる」は専門家の私でも苦労するプロセスを説明しており、研究者向けの高度な話からあの本は始まっています。

いっぽう、今回のTA本は私などの研究者が日頃、無意識に行なっている作業をきわめてわかりやすく分析・解説しており、「そうか、自分はこういうことをやっていたのか」と納得しながら読みました。本書に文学の話は出てきませんが、説明されている内容は文学を対象にした分析にもそのまま当てはまるので、文学研究者志望の方で、どうやって論文のアイディアを固めればいいかがわからない方は、ぜひ参考にするといいでしょう。

あと、「批評」という言葉を使わないのもいいと思いました。代わりに「テクスト分析」という、手垢のついていないニュートラルな言葉が使われています。私などは「批評」と聞くと、目の肥えた博学な人たちが、自分なりの評価軸で何らかの対象を吟味し、自分の評価と他人の評価を戦わせる、というマッチョなイメージを思い浮かべてしまいます。ところが阿部さんはあえてその言葉を使わないことで、「方法論さえわかっていれば誰でもテクスト分析に参加できますよ」と伝えているのだと思います。

AW本でもそうでしたが、阿部さんは研究や「批評」を、「センス」というエリート主義的で排他的な、でもきわめてぼんやりした価値観から切り離しています。そもそも「センスがある人」ってどういう人なんでしょう? もし「あなたセンスないね」と誰かに言われたら、絶望こそすれ、その意味がわからないので改善しようがありません。また、「センスあるね」と言われても、嬉しいかもしれませんが、自分のどこがいいのか理解するのが難しいはずです。

本書のある箇所で阿部さんは「感度」という言葉を使っていますが、本来はそこは「センス」という言葉が使われるはずのところ、あえて「感度」と言い換えているのではないかと推測しました。「センス」は学べなそうな響きがあり、もともとセンスがある人だけに与えられる称号のような気がしますが、「感度」は方法論さえわかっていれば鍛えられるし、身につけられる、と阿部さんは言いたいはずです。

AW本に続き、TA本もまた、論文を書く行為の民主化である、と思いました。選ばれしセンスある人の高邁な営為ではなく、誰もが参加可能な一種の「ゲーム」と割り切ること。方法論ありきの考えに反発する人もいるかもしれませんが、私はこういう考え方に賛同します。

この本を読みながら、私が院生時代、研究とは「センス」がよくて「頭がいい」人たちのみに許された特別な行為で、凡人の自分にはとても無理だと思って、研究を研究を何度も諦めようとしたことを思い出しました。その時に、こういう本があれば救われたような気持ちになったでしょう。そして、私と似たような苦労をしている人がいるなら、阿部さんの本を手に取ってみてください。ただし順番にはお気をつけて。TA本を読んでからAW本を読む、というのがお勧めです。

2026年7月13日月曜日

福嶋亮大さんとの対談がオンライン公開されました

先日、昨年10月に行った福嶋亮大さんとの対談が活字化されたことを報告しましたが、こちらがさっそくオンラインでも公開されました:https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/records/2002798。一定期間を経ないと公開されないと思っていたのですが、印刷と同時にオンライン公開だったようです。

ご興味がある方はぜひお読みください。

2026年7月7日火曜日

福嶋亮大さんとの対談が活字化されました

昨年10月に、立教大学アメリカ研究所主催で「メルヴィル・アメリカ・世界文学」と題して福嶋亮大さんと対談を行いました。その際の対談が、同研究所の機関誌である『立教アメリカン・スタディーズ』で活字化されました。

書誌情報としては以下の通り:

古井義昭・福嶋亮大「メルヴィル・アメリカ・世界文学」『立教アメリカン・スタディーズ』第48号、2026年、pp. 103-46。

質疑応答を含め、二人が話したことをすべて掲載してもらい、なんと40ページ越えの大容量です。メルヴィルに関する福嶋さんの鋭いコメントをたくさん読めるので、ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思います。

私個人としては、福嶋さんからメルヴィルについて新鮮な視点を学べたことはもちろん、この対談がきっかけで新たに決まりそうな仕事もあったりして、とてもいい経験となりました。企画していただいたアメリカ研究所所長の舌津智之先生に感謝です。

一定期間が経つとリポジトリに登録されてオンラインで読めるようになるはずですが、もし読みたい方がいれば私までご連絡ください。





2026年6月29日月曜日

エミリィ・ディキンスン学会のシンポに登壇します

先週末にメルヴィル『戦争詩集』をめぐるシンポに登壇したばかりですが(来ていただいた方々、ありがとうございました)、今週末はディキンソンの詩についてのシンポに登壇します。

詳細はエミリィ・ディキンスン学会のHPから:https://emilydsjp.blogspot.com。該当箇所を抜粋すると以下の通り:

II. シンポジアム (14:20~16:20)

「“This Chasm, Sweet, upon my life” (F 1061 / J 858)を読む」

         司会・講師     東京理科大学     金澤淳子

            講師     立教大学         古井義昭

            講師     慶應義塾大学  小泉由美子

"This Chasm, Sweet"という非常にマイナーなディキンソンの詩一つを、3名の登壇者各自の視点からじっくりと論じるシンポです。先行研究もほぼ存在しないような詩なので、登壇者各自の読み方が問われるようなシンポになると思います。詩のテクストはこちらから:https://allpoetry.com/This-Chasm,-Sweet,-upon-my-life

ディキンソンについては、最初の単著で一章を割いて論じたほか、昨年出した共著でも論じたことがありますが、今回のように専門家の前で話すのは初めてで、かなり緊張します。

これで今年4回目の学会発表、一ヶ月のうちに3回目の学会発表となり、もうさすがにヘロヘロですが、いい発表ができるようもう一息頑張ります。興味がある方はいらしてください。



2026年6月26日金曜日

明日の東京支部シンポはオンライン

明日、アメリカ文学会東京支部で開催予定のBattle-Piecesをめぐるシンポですが、台風の影響で対面ではなくオンライン開催となりました。

ZoomのURL等、詳細は以下の学会HPをご覧ください:https://www.tokyo-als.org/2026/06/news-11/


2026年6月11日木曜日

メルヴィル『戦争詩集』に関するシンポに登壇します

6月27日(土)の日本アメリカ文学会東京支部例会にて、ハーマン・メルヴィル『戦争詩集』をめぐるシンポが開催されます。シンポのタイトルは「詩人メルヴィル再考:分断の時代にBattle-Piecesを読む」というものです。HPの情報はこちらから:https://www.tokyo-als.org/2026/06/%e3%80%882026june_meeting%e3%80%89/


私はこのシンポに司会兼発表者として登壇します。このシンポのコーディネーター役でもあるので、シンポの趣意文も執筆しました。趣旨文、各発表の要旨は上記のHPにありますが、まず趣旨文は以下のとおり:

 ちょうど160年前、ハーマン・メルヴィルにとって初の詩集 Battle-Pieces and Aspects of the War (1866)が出版された。南北戦争終結の翌年のことである。主に小説で知られているメルヴィルだが、実はキャリア全体を見れば、詩人としての活動時期のほうが小説のそれよりも長い。1857年に最後の長編小説 The Confidence-Man を出版して以降、メルヴィルは詩作品の執筆に移行し、晩年まで詩集を出版し続けた。メルヴィル研究においては、21世紀に入ってから「詩人メルヴィル」を再評価する動きが活発に続いており、その機運のなかでもっとも議論されてきたのがこの Battle-Pieces である。しかし、その難解さゆえ、日本のアメリカ文学研究者のあいだでこの作品が実際にどれだけ読まれているか、あるいは読まれたとしてもどれだけ理解されているかは心もとない。ところが、本作の全訳『南北戦争詩集――近代総力戦のまなざし』(牧野有通監訳、宇野雅章・斎木郁乃・貞廣真紀訳、小鳥遊書房、2025年)が昨年上梓され、日本においてメルヴィルの詩作品を読み、評価する環境が整いつつあるといえる。

 そこで本シンポジウムは、登壇者各自の Battle-Pieces 読解を通じて「詩人メルヴィル」の立ち位置を再考する機会としたい。また、現代においてこの詩集を読解することとは、世界的に政治的分断が深まる現代に生きるわれわれ自身を逆照射することにもつながるだろう。特にアメリカ国内では政治的対立が南北戦争の再来を予期させるほどに深刻化しており、「南北戦争」は遠い過去の記憶として片付けることはできなくなっている。苛烈な分断の時代に生きたメルヴィルは、この詩集を通じてどのような文学的応答をしたのだろうか。なぜその応答は小説ではなく詩でなければいけなかったのか。このシンポジウムを機に、 Battle-Pieces を読む意義、この詩集がはらむ問題点、詩人メルヴィルの評価などの諸問題を幅広く考えてみたい。

次に、私個人の発表要旨は以下のとおり:

<発表要旨>

 本発表は、メルヴィルの詩集 Battle-Pieces が代名詞の使用をめぐる言語戦略により、いかに南北の政治的分断に抵抗しているかを検討するものである。本作が出版された南北戦争直後には、南北双方の地において戦争体験を謳い上げる大量の詩作品が出版されたが、その多くは「我々(we)」と「彼ら(they)」という代名詞を用いて南北の分断を助長するものであった。一方、 Battle-Pieces を通じて南北融和のヴィジョンを提示しようとするメルヴィルは、代名詞の指示対象を曖昧にすることで、北部と南部を二項対立的な友敵構造に収めることを回避し、より包括的な「アメリカ」という共同体へと昇華しようとしている。

 本発表では、そうしたメルヴィルの試みが結果的に失敗していると示したうえで、その失敗をむしろ肯定的に評価してみたい。“we”という主語を通じてメルヴィルが示す国家の統一的ヴィジョンは、その不可能性ゆえに、分断されたままの個の姿(pieces)を図らずも描き出しており、政治共同体に回収されない個人の姿を提示できているからである。

 ただ、メルヴィルのそうした試みは肯定的にのみ評価しうるものでは決してない。南部白人といういわば「親密な他者(intimate others)」ともいうべき存在を“we”のヴィジョンに半ば暴力的に包摂しているとすれば、メルヴィルは黒人という存在を徹底的に描けていないからである。“we”と“they”という二項対立は、その構図の外部に位置する黒人という第三の存在を不可視化してしまうのであり、その意味で黒人は「残余の他者(residual others)」といえるだろう。本発表では、代名詞の撹乱的使用を通じた政治的分断の超克の試みを詳細に検討することで、その達成と限界を見極めてみたい。

趣意文にもあるとおり、メルヴィルの詩は専門家のあいだで長らく議論されてきたものの、日本ではなかなか専門家以外の読者には読まれていないという事情があります。非常に難解なので、それも無理はありません。その点で、『戦争詩集』の完訳が昨年出版されたことは非常に大きな意義を持ちます:https://www.tkns-shobou.co.jp/books/view/730

私は以前、研究仲間と『戦争詩集』の読書会を行い、一年かけて精読しましたが、それでもわからないことが多々あり、今回の翻訳のおかげで自分がいかに読めていなかったがわかりました。あと、現在は『クラレル』という長編詩の読書会もやっているのですが、月20ページのペースで読んでいて、これもまた難しい(はるかにこちらのほうが難しい)。メルヴィルの詩はとにかく難しいです。『クラレル』にも翻訳があるのですが、こういう難解な作品を翻訳してくれる訳者は偉大と思わされます。感謝しなければいけません。

今回のシンポに登壇するのはみなメルヴィルの専門家の方たちですが、メルヴィルの詩を読んだことがない、でも興味はある、という方にも面白がっていただけるようなシンポにしたいと思って準備しています。私個人は、政治分断が進む現代だからこそ、この詩集を読む意義があると思っており、その点について発表を行う予定です。

ご興味があればぜひいらしてください。

2026年5月23日土曜日

アメリカ学会のシンポジウムに登壇します

6月6日(土)から7日(日)にかけて、東京学芸大学にてアメリカ学会年次大会が開催されます。

今年度はアメリカ学会創設60周年ということで、大会初日の6日に、60周年を記念したシンポに登壇します。

シンポは"The Future of American Studies under the Second Trump Administration"というテーマで、私は、アメリカに対する心理的な壁が作られている状況だからこそ、なおさら海外発信の意義が増している、という内容を話す予定です。他の登壇者は梅川健先生、三牧聖子先生のお二方で、本シンポは英語で行われます。

詳細は以下のとおり:


非会員の方も当日は千円の参加費を払えば参加できるとのこと。他にも面白そうな発表や企画があるので(7日午前には斎木郁乃先生による『白鯨』のご発表あり)、ご興味があればご参加ください。

6月6日のこのシンポを皮切りに、7月4日までの一ヶ月の間に三つのシンポに登壇する予定です。6月下旬にはメルヴィル『戦争詩集』に関して、7月頭はディキンソンのマイナーな詩作品について発表予定。ちょっと予定が詰まりすぎなのですが、なんとかいい発表ができるように頑張ります。この後に続くシンポについても追って報告します。

『まったく新しいテクスト分析の教科書』

阿部幸大さんの新著『まったく新しいテクスト分析の教科書』が出版されました。 すっかり阿部さんは売れっ子で、いまさら私などが紹介するまでもないのですが、このブログはおそらく文学研究に興味ある学生の方も読んでいるのではないかと思い、そういった方向けにおすすめしたいので、以下紹介してみ...