2022年12月27日火曜日

2022年の仕事

年末なので、今年一年の仕事の振り返りをします。

論文 

*"Hitting Billy: Mediated Interiority in Billy Budd." Literary Imagination, vol. 24, no. 1, pp. 25-37. 【査読有】

*"Transnational Intimacy in Israel Potter." Texas Studies in Literature and Language, vol. 64, no. 2, pp. 144-62. 【査読有】

*"Through an 'Impenetrable Thicket': Penetrating Depth and Alterity in Melville's Typee." The Japanese Journal of American Studies, no, 33, 2022, pp. 133-50. 【査読有】

口頭発表

*"Ventriloquizing the South: Reading Melville as a Transbellum Author." The 119th Annual PAMLA Conference, 2022年11月13日(UCLA)

*「南部を代弁する:Melvilleの他者表象」第61回日本アメリカ文学会全国大会シンポジアム「トランスベラム文学の可能性:19世紀アメリカ文学史を再考する」 2022年10月9日(専修大学)

*"Lonely Individualism in Herman Melville's Moby-Dick." Literature's Loneliness: A Comparative Perspective, 2022年7月19日(ベルリン自由大学)

*"Transnational Intimacy in Israel Potter."The 13th International Melville Society Conference, “Melville’s Energies,” 2022年6月28日(Zoom)

*「J19 Special Forum “Japanizing C19 American Literary Studies” 刊行記念ワークショップ」2022年1月29日(Zoom)

その他

*書評:竹内勝徳『メルヴィル文学における〈演技する主体>』 『アメリカ文学研究』第58号、pp. 32-38、 2022年3月 

溜まっていた論文が一気に出版されて、手元に残っていた原稿がすべて世に出ることになりました。対面学会が再開したこともあり、学会発表も積極的に行えたのはよかったです。特にベルリンに行ったのはいい思い出です。

こう見るとずいぶん活発に研究をしているように見えますが、ほとんどが前年までの成果が時間差で世に出ているだけなので、感覚的には、スランプとまで言えるかわかりませんが、自分の中で停滞している感じがした一年でした。成長している感じがしないというか、前に進んでいないというか。そういう停滞を打破すべくサバティカルに入ったわけですが、とにかく今はメルヴィル単著の原稿を仕上げるための作業をしています。単著の作業以外には、勉強不足だった分野に関してひたすら本を読んでいます。

10月に行ったシンポジアムの発表については、すでに論文にまとめてアメリカのジャーナルに投稿しました。ただ、アクセプトされる気がまったくしないので、世に出るとしたら2、3年後になるかもしれません。

来年の予定は、久しぶりに出版予定のものは何もなく、学会発表を一つだけ予定しています。Soceity of Early Americanistsという学会(於:メリーランド大学)で、チャールズ・ブロックデン・ブラウンとクレヴクールを絡めた新ネタを発表します。 初期アメリカ文学は自分にとっては専門外なので、チャレンジするつもりで頑張ります。

来年(サバティカル中)はアウトプットを焦らず、じっと力を溜める期間にしたいと思います。

2022年11月30日水曜日

American Literary Scholarshipで論文と著書が紹介されました

Duke UPから毎年発刊されているAmerican Literary Scholarship (2020)の最新号で私の論文と著書が紹介されました。

この雑誌では、各専門ごとの評者が最新のアメリカ文学研究をピックアップして紹介しています。ここで取り上げられるのは名誉なことですので、今年は二つ取り上げてもらって嬉しく思います。

まずはMelvilleの項目では、St. Mary UniversityのJosh Doty氏が私の『白鯨論』を紹介しています。

What more appropriate subject could have been explored this year than loneliness? What more fitting topic for a year of social distancing, HyFlex teaching, virtual conferences, canceled holidays, and Zoom happy hours? Yoshiaki Furui’s “Lonely Individualism in Moby-Dick” (Criticism 62: 599–623) reconsiders Ahab as not merely an individualistic man but more specifically a lonely one. Furui aims to analyze “the loneliness that lurks beneath his public persona of staunch solitude.” Drawing on affect theory and recent studies on emotion in American literature, he coins the term “lonely individualism” to capture “the two valences of being alone”: solitude, “a state of being,” and loneliness, “a negative feeling.” Crucially, Furui puts Ahab’s lonely individualism in context with the networks in which he is “deeply enmeshed.” Although it seems counterintuitive to claim that a character is both a lonely individual and a node in a network of social relations, “networks and loneliness actually stand in a mutually sustaining relationship: loneliness occurs in the human mind when one feels excluded from a network of relations.” Ahab is disconnected not only from the social network aboard the Pequod but also from Moby Dick. His inability to communicate with the whale, “the very object of his obsessive revenge,” leaves him adrift. (41-42)

次に、International Scholarshipの項目では、神戸市外国語大学の難波江仁美先生が、2019年に出版された単著について紹介してくださっています。

Scholarship on the 19th century is dense and rich, and we are once more blessed with thought-provoking publications. Young scholar Yoshiaki Furui’s first book, Modernizing Solitude: The Networked Individual in Nineteenth-Century American Literature (Alabama, 2019), won both the 5th American Literature Society of Japan Book Prize and the 25th Shimizu Hiroshi Award of the Japanese Association for American Studies. It seemed almost to be fate that the book appeared just before the pandemic forced people to stay home in solitude and resort to social networking in a quest for communication. Furui persuasively historicizes 19th-century American literature with exhaustive archival research and documentation and attaches value to “solitude” as a posi- tive, open state of being. To forget “loneliness” (anxiety of being alone), people have always developed communication technologies, such as the letter, telegraph, and telephone, and those, Furui argues, are in fact the very media that pave the way for the formation of the solitude that is a prerequisite for creative subjectivity. Thoreau’s solitude, for example, is only realizable because of the progression of modern technology of the time, and thus, though seemingly contradictory, his solitary life is closely related to his network of connections in society. Other chapters discuss Harriet Jacobs, Herman Melville, Emily Dickinson, and Henry James. (427-28)

英語で研究発信をするのは何より幅広い読者層にリーチするためなので、このような媒体で自分の研究を紹介してもらえるのは本当にありがたいことです。今後も取り上げてもらえるよう英語での発信を頑張りたいと思います。

2022年11月9日水曜日

PAMLAで発表してきます

今週末の11月13日に、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で開催されるPAMLAという学会で発表してきます。私が参加するセッションの詳細は以下の通りです:

Melville's Geographies

Presiding Officer & Chair: Emma Butler-Probst, University of Tennessee - Knoxville

"Melville’s Apostles: Diptych Pairings and Contrasting Missionary Approaches in Omoo" Emma Butler-Probst, University of Tennessee - Knoxville

"Creating Heaven in 'The Gilder': Melville's Geography, at Arrowhead and Abroad" Katherine Erickson, St. Mark's School

"Ventriloquizing the South: Reading Melville as a Transbellum Author" Yoshiaki Furui, Rikkyo University/UC Berkeley

発表内容としては、先月のアメリカ文学会のシンポジアムで発表したメルヴィルのBattle-Pieces論に基づいたものになります。

先月の発表後、英語論文化していたものを、こちらのホストになっていただいているサミュエル・オッター先生に読んでもらい、コメントを頂戴する機会を得ました。私の議論のかなり本質的なところを批判してもらい、改稿のヒントをいただいたので、今回の発表ではそれを反映したものになります。

発表することでフロアからコメントをもらい、さらにまた改稿していくつもりです。今回の論文は時間をかけて書いていますが、査読に通して論文化する自信がまだまだありません。焦らずに取り組みたいと思います。

今回アメリカに滞在しながら、昔アメリカで大学院生をやっていたころを思い出すのですが、オッター先生からコメントをいただいたことで、学生の頃の気持ちに戻ることができました。就職してからは「先生」になってしまい、手厳しいコメントをもらう機会も減っていたところがあるので、自分の研究者としての未熟さを再確認できただけでもアメリカに来た甲斐があったと思います(もちろんそれは辛いのですが)。

2022年9月28日水曜日

日本アメリカ文学会のシンポジアムに登壇します

 来月、10月8日から9日にかけて専修大学神田キャンパスで日本アメリカ文学会全国大会が開催されますが、私は9日のシンポジアムに司会兼講師として登壇します。大会全体の詳細はこちらからご覧になれます。

シンポのタイトル・登壇者・要旨は以下の通りです。ご興味があれば是非ご参加ください。


トランスベラム文学の可能性――19世紀アメリカ文学史を再考する

司会・講師:古井義昭(立教大学)

講師:若林麻希子(青山学院大学)

講師:生駒久美(東京都立大学)

講師:水野尚之(京都大学名誉教授)

 従来の19世紀アメリカ文学史は、南北戦争以前/以後、つまりアンテベラム期/ポストベラム期という区分に基づいて構築されてきた。主に「正典」をめぐる論争を通じてアメリカ文学史はこれまで幾度となく変化を遂げてきたが、この時代区分は現在に至るまで強固なものとして機能し続けている。たとえばアメリカ文学の代表的なアンソロジー(The Norton Anthology、The Heath Anthology等)を一瞥すればわかるように、版を重ねるごとに作家の選択は変化しながらも、「1865年」が巻数を区切る歴史的指標となっていることに長らく変わりはない。

 こうした南北戦争以前/以後という区分はそのまま、「アンテベラム期=ロマン主義」、そして「ポストベラム期=リアリズム」という便利な文学史的見取り図を提供してきた。しかし近年、この区分に基づいた文学史観を再考する機運が高まってきている。なかでもCody Marrsは、Nineteenth-Century American Literature and the Long Civil War (2015)において「トランスベラム(transbellum)」という概念を導入することで、南北戦争を1865年に終わったものとするのではなく、その影響は戦後も長く続いていったとして、「長い19世紀」ならぬ「長い南北戦争(the long Civil War)」と呼んでいる。はたして、19世紀アメリカ文学史を南北戦争以前/以後に分けることにどれだけの妥当性があるのか。Marrsはこのように問いかけながら、文学史における従来の時代区分(periodization)に疑問を呈し、文学史の再編成(reperiodization)を呼びかけている。

 トランスベラム文学という視座は、文学史に関わるいくつかの新しい問いを誘う。たとえば、南北戦争以前から以後にかけて執筆を続けた作家たちを、主に南北戦争前の作家(あるいは「アメリカン・ルネサンス」の作家)として認識することは妥当なのか。また、ロマン主義とリアリズム文学のあいだに挟まれた時期に活動した作家たちを、文学史においてどう位置付ければいいのか。さらに、南北戦争以前から執筆活動を始めていながらも文学史上ではポストベラム期と紐づけられている作家たちは、はたして南北戦争「後」の作家と呼びうるのか。

 このような文学史再考の動きはまだ端緒についたばかりである。そこで本シンポジウムは、トランスベラム文学という新たな概念を参照点としながら19世紀アメリカ文学史を再考することを目的とする。Marrsの企図を実践そして拡張すべく、彼が取り上げている作家(Herman Melville)に加え、取り上げていない作家たち(Harriet Beecher Stowe, Mark Twain, Henry James)にも焦点を当てることで、トランスベラム文学の可能性を探りたい。


2022年9月6日火曜日

サバティカル開始

 9月1日から、カリフォルニア大学バークリー校英文科にフルブライト研究員として滞在しています。メルヴィル研究で著名なサミュエル・オッター先生にホストになっていただき、これから1年間バークリーで研究に取り組むことになります。

この1年間での目標は、まずは目下執筆中のメルヴィル本(日本語)を書き上げることです。フルブライトに提出した研究計画書ではそのことをメインに書きました。

もう一つ、並行して行いたいのは、英語論文の書き方を改造することです。これは英語の文章の書き方を変えるとかいう小さな話ではなく、論じ方そのものを変えることで、より採用難度の高いジャーナルへのアクセプトを目指す、ということです。

これまで私は一つの論文につき、一つの作品を精読するという作品論をメインに書いてきましたが、今後はより射程の広い議論ができるようになりたいです。結果が出るまで2、3年、もしくはそれ以上かかるかもしれませんが、結果を焦らずに取り組みたいと思います。日本語にしろ英語にしろ、結果が出るまで新作論文はあと数年は出さないつもりです。

毎年のように査読論文を書いてきましたが、自分でも論文の書き方がパターン化されているのがわかっており、このまま同じペースで書き続けても成長しないなと思いました。論文をコンスタントに出していないと不安に駆られてしまうのですが、ここは我慢のしどころと思って頑張ります。

2022年7月14日木曜日

Typee論が出版されました

アメリカ学会発行のThe Japanese Journal of American Studies最新号に、私のTypee論が掲載されています。

書誌情報は以下の通りです:

Furui, Yoshiaki. "Through an 'Impenetrable Thicket': Penetrating Depth and Alterity in Melville's Typee." The Japanese Journal of American Studies, no, 33, 2022, pp. 133-50. 

本論は、私が現在取り組んでいるメルヴィル単著企画の一部で、メルヴィルの他者表象についての論文です。エイハブの原型がTypeeの主人公トンモに見い出せる、という議論をしています。よく議論されているトンモの性的不全に関しても、性的不全ではなくて、意図的に性的関係を結ぼうとしていない、という仮説を提示しています。私にしては思い切った仮説を提示したのですが、どう受け取られるでしょうか。

日本の査読誌に投稿したのは学生時代以来で、すごく久しぶりです。アメリカ学会には一度も論文を掲載したことがありませんでした。ひと通り日本の雑誌には掲載してもらったので、今後は投稿することはないと思います。これからはまた海外の査読誌を目指すことになるでしょう。

今回の論文で、メルヴィルに関する論文はひと通り出版されたことになります。あとはすべてを日本語に直し、単著にまとめていきたいと思います。

また、これで論文発表はひと段落したこともあり(まだアクセプトされていない論文も残っているのですが)、これから2、3年は新しい論文を発表しない気持ちで、より高いレベルの論文を時間をかけて書きたいと思います。

2022年7月6日水曜日

ドイツで開催される国際ワークショップに参加します


今月18日、19日にドイツのベルリン(ベルリン自由大学)で開催される国際ワークショップに参加してきます。

"Literature's Loneliness: A Comparative Perspective"というタイトルのワークショップで、文学と孤独の関係に関心がある研究者たちが集い、自分の研究について発表をし、それに基づいて議論をする、という内容になっています。私は、以前刊行したメルヴィルの『白鯨』論について発表してきます。

参加者はドイツ、アメリカの研究者が主ですが、そこに1人だけアジア人として参加してきます。研究対象はイギリス文学、ドイツ文学、そして私のようにアメリカ文学とそれぞれです。

孤独について研究している人は自分くらいなんじゃないか、と思っていたところ、世界は広いもので、あちこちにいるようです。まさかドイツでメルヴィルについて話す日が来るとは夢にも思いませんでした。今回お声がかかったのは、私がアメリカで出版したModernizing Solitudeを主催者の方が読んでくれたことがきっかけでした。やはり、英語で研究発信するということは、英語圏だけではなく、英語を使う広範な研究者たちにリーチするのだな、と嬉しくなりました。日頃はいったい誰に読まれているのだろう、と不安になるのですが。

今後の研究に繋がるいい意見交換ができれば、と期待しています。



2022年6月25日土曜日

国際メルヴィル学会で発表します

来週、6月28日にパリで開かれる国際メルヴィル学会で発表をしてきます。といっても私はパリには行かず、日本からのオンライン参加となります。

発表内容は、先日刊行されたIsrael Potter論に基づいたものになります。私が参加するパネルは以下の通りです:

27. Affective Ecologies (Chair: Xine Yao) [SG 0011]

James Emmett Ryan, “Ecologies of Affection: Denis de Rougemont’s Love in the Western World and Melville’s Pierre”

Yoshiaki Furui, “Transnational Intimacy in Israel Potter” [ZOOM]

Ralph Savarese, “‘The Apple-Tree Table’ and Auditory Hallucinations”

Pilar Martínez Benedí, “‘NO TRUST’: Delusional Misidentification Syndromes and The Confidence-Man”

今月はこちらの学会発表、来月はドイツはベルリンでの国際ワークショップに参加と、忙しくなりそうです。ベルリンの方は現地に行きます(詳細はまた後日こちらのブログに書きます)。

2022年6月18日土曜日

Israel Potter論が出版されました

メルヴィルのIsarel Potterについて論じた論文が、テキサス大学出版局発行のTexas Studies in Literature and Language誌に掲載されました。Project Museからダウンロード可能です:https://muse.jhu.edu/article/857553。アクセスできないという方は、メールをいただければファイルをお送りいたします。

要旨は以下の通りです:

ABSTRACT

This essay reads Herman Melville's Israel Potter by attending to the eponymous character's feeling of loneliness as an exile, which compels an examination of the relationship between individual and community. Building on Jean-Luc Nancy's concept of "inoperative community," which emerges between the dead and the living, I argue that the community proposed in Israel Potter is informed by the belatedness that escapes containment by a political institution.

Israel Potterは非常に思い入れのある小説で、いつか論じてみたいと思っていました。最初に読んだのは修士課程の一年生だったと記憶していますが、その時に主人公イズラエルのlonelinessに心打たれたのを覚えています。ただ、そういう個人的印象をどう論じればいいのか、昔はまったく分かりませんでした。今この作品を読んでもlonelinessに心打たれて感動するのは一緒で、要するに、読んで受ける個人的な印象や感動は変わらず(感性が変わっておらず)、それを言語化したり、論にする技術や知識が身についたということなんだと思います。

今月末にパリで国際メルヴィル学会があり、この論文に基づいた内容で発表を行う予定です(ただしリモート参加)。

2022年5月31日火曜日

アメリカ学会年次大会のお知らせ

 今週末の6月4日、5日に、中央大学にてアメリカ学会が開催されます。

私は大会企画委員というものを務めており、5日に開催される部会(他学会でいうシンポジウム)の企画をしました。タイトルは「文学と歴史が交わるところ:学際性をめぐる対話」というものです。詳細は以下の通りです:

【 部会C 文学と歴史が交わるところ―学際性をめぐる対話 】 F 号館 F602、13:30-16:15

司会: 佐久間みかよ (学習院女子大学)

報告者:

白川恵子 (同志社大学)

「ナット・ターナーの場合――歴史記述と文学表象との「厄介な」不/可分性」

竹谷悦子 (筑波大学)

「「日本を閉ざす鉄のカーテン」――航空アーカイヴとアメリカ文学史の交錯」

討論者

久野愛 (東京大学)

丸山雄生 (東海大学)

私自身が歴史学の知見に頼りながら文学研究を行ってきたこともあり、この部会を企画しました。新歴史主義以降、文学研究者の多くは無自覚に歴史学の研究を活用してきた、あるいはディシプリンの境目を跨いできたのではないでしょうか。逆もまた然りで、歴史学の文献を読んでいると、事例として文学作品が扱われているのをよく目にします。

両者の境界が良くも悪くも軽々と越境されるようになった現在、あえてここで立ち止まり、文学研究と歴史学、それぞれの専門性を認識した上で、互いに対話することが重要に思います。これまで、両領域の研究者同士が対話する機会はなかったように思えるからです。

今年の年次大会は久しぶりに対面開催となります(一部はウェビナーでも配信)。ご興味のある方はぜひお越しください。

2022年3月31日木曜日

Billy Budd論が出版されました

 Oxford University Press発行のLiterary Imagination誌最新号に、私のBilly Budd論が掲載されました:https://doi.org/10.1093/litimag/imac008。書誌情報は以下の通りです。

Furui, Yoshiaki. "Hitting Billy: Mediated Interiority in Billy Budd." Literary Imagination, vol. 24, no. 1, pp. 25-37. 

ここ数年、他者の内面をメルヴィルが言語を通じてどう表象しようとしたのかというテーマで論文を書き続けているのですが、本論もその問題意識のもとに書かれたものです。

論文にアクセスできない方には個人的にファイルを差し上げるので、興味がある方はメールをいただければと思います。

2022年2月26日土曜日

Billy Budd論が出版されます

メルヴィルの遺作Billy Buddについての論文が、Oxford University Press発行のLiterary Imaginationというジャーナルに掲載が決まりました。ジャーナルのHPはこちらです:https://academic.oup.com/litimag

書き終えて3年以上は経っている論文で、落とされたり、いいところまで行ったりと紆余曲折ありましたが、今回は投稿してからスピーディにアクセプトされ、さらにはなんの修正要求もなく通りました。

よそでかなり批判されて落とされたけど、他のジャーナルに出してみたらすんなり通った、ということがたまにあります。今回の論文に関しては、自分の中で直しようがない、あるいはもう直す気力がない、という感じだったので、内容は変えずに落とされては投稿を続けました。

Literary Imaginationは以前も違う論文を投稿してむげに落とされ、しかも査読結果が出るまで異様に時間がかかったのですが、今回は本当に短い期間で出版が決まったので驚いています。編集長次第なのでしょうか。謎です。

これでようやく手元にあるメルヴィル関係の論文の出版がすべて決まり、すっきりした気持ちです。今年はあともう一本、日本のジャーナルに論文が載る予定です。

計10本の英語論文が出来上がったので、いよいよ単著化の作業に取り組まなければ、と思って日々作業しています。すべてひとまずの日本語化は終わっているのですが、自分の英語をこなれた日本語に直すというのは思いのほか大変で、細かい作業はまだまだ残っています。

本にするといっても、出版社のあては何もないまま原稿を書いているのですが・・・。出版社探しも含め、これから単著出版を目指して本格的に動いていきます。

2022年1月6日木曜日

J19 Special Forum “Japanizing C19 American Literary Studies” 刊行記念ワークショップ

 J19の日本特集号がようやくProject Museで公開されました:https://muse.jhu.edu/issue/47143

本企画の出版を記念し、以下の要領でズームイベントを開催します。ご興味がおありの方は奮ってご参加ください。

J19 Special Forum “Japanizing C19 American Literary Studies” 刊行記念ワークショップ

【概要】

J19: The Journal for Nineteenth-Century Americanistsは、およそ 10年前に創刊され、19世紀アメリカ文学・文化分野におけるトップ・ ジャーナルの地位を築いてきました。この度、本誌最新号に特別企画  “Japanizing C19 American Literary Studies” が掲載されたことを記念し、ワークショップを開催いたします。本ワークショップでは特別企画の議論を継続し、寄稿者たちに加えて若手研究者も迎え、日本人が19世紀 アメリカ文学を外国文学として研究する意味について討議します。

【日時・場所】 1月29日(土)13:00-15:00、Zoom

*冒頭の30分ほどは英語、その後は日本語で行います。要参加登録・無料。

【登壇者】

司会 

 古井義昭(立教大学准教授)

講師 

 ステイシー・マーゴリス(ユタ大学教授・J19編集長) 

 巽孝之(慶應義塾大学名誉教授・慶應義塾ニューヨーク学院長) 

 石原剛(東京大学教授) 

 鵜野ひろ子(神戸女学院大学名誉教授) 

 高橋勤(九州大学教授)

討論者 

 雨宮迪子(ユタ大学英文科博士課程)

【参加登録リンク】

https://forms.gle/DrNDRd2KRESFmYvFA

*ご記入いただいたメールアドレスに、ZoomのURLと本企画のPDFファイルをお送りいたします。当日は、参加者たちがファイルを読んだ前提で議論を行いますので、事前にお目通しをお願いします。 

*お問い合わせは古井義昭「yfuruiアットマークrikkyo.ac.jp」まで。

*本研究は、科学研究費の助成を受けています(研究代表者:古井義昭、課題名:ハーマン・メルヴィル作品における他者性に関する包括的研究、課題番号:20K00451)。




『週間読書人』で拙著が取り上げられました

12月20日刊行『週間読書人』の「2024年回顧--収獲動向」という特集で、拙著『誘惑する他者:メルヴィル文学の倫理』が取り上げられました。評者は福岡女子大学の長岡真吾先生です。 「海外学術誌に掲載された論文を日本語にしてまとめた精緻な労作」と紹介してくださっています。ありがとう...