2024年8月27日火曜日

トークイベント

阿部幸大さんとのトークイベントが8/29(木)に迫りました。

同業者の方、院生の方、学部生の方、私の本の読者の方、等々、どんな方でも大歓迎ですので、ご興味があればぜひいらしてください!

阿部幸大×古井義昭 対談!

アカデミック・スキルと日本の人文学の未来

長年アカデミック・スキルについて(密かに)語り合ってきた2人が、その「手の内」を明かす!

大学院在学中から国内外で成果を出しつづけてきた多産な2人は、どのように読み、書いてきたのか。

論文の執筆・投稿はもちろん、日々の英語の勉強から、アイディアの練りかた、論文と単著、そして日本とアメリカの違いまで、日本の人文学の「これから」を担う世代に、なんでも教えちゃう対談トークイベントです。

より細かい詳細はこちらからご覧ください:https://store.kinokuniya.co.jp/event/1722422155/。オンラインでも視聴できます。

2024年8月7日水曜日

阿部幸大さんとのトークイベント@紀伊國屋書店 新宿本店

阿部幸大さんと、紀伊国屋書店新宿本店にてトークイベントを開催することになりました。8月29日(木)、18時からです。以下が概要になります。

阿部幸大×古井義昭 対談!

アカデミック・スキルと日本の人文学の未来

長年アカデミック・スキルについて(密かに)語り合ってきた2人が、その「手の内」を明かす!

大学院在学中から国内外で成果を出しつづけてきた多産な2人は、どのように読み、書いてきたのか。

論文の執筆・投稿はもちろん、日々の英語の勉強から、アイディアの練りかた、論文と単著、そして日本とアメリカの違いまで、日本の人文学の「これから」を担う世代に、なんでも教えちゃう対談トークイベントです。

より細かい詳細はこちらからご覧ください:https://store.kinokuniya.co.jp/event/1722422155/。オンラインでも視聴できます。

先日発売された阿部さんの『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』はすごい売れ行きのようで、今回のイベントに参加されるのは、阿部さん目当ての方が大勢ではないかと思います。長らく阿部さんの研究と成長の軌跡をウォッチしてきた身として、この本の良さを引き出せればと思っています。

ただ、もし私の話を聞きたいと思ってくれる方が少しでもいるなら、とても嬉しく思います。まあ、私のサインなど欲しい人がいるとは思いませんが、身近な人たちにサインするときに使っている猫のスタンプを一応持っていきます(笑)。

もちろん「対談イベント」ですので、お互いの研究観や人文学の意味、研究にまつわるもろもろについて意見交換するつもりで、私も非常に楽しみにしています。

ご興味がある方はぜひご参加ください! 


2024年7月20日土曜日

『図書新聞』上半期アンケートで取り上げられました

本日(7/20)発売の『図書新聞』最新号の「上半期読書アンケート」で、巽孝之先生に拙著『誘惑する他者:メルヴィル文学の倫理』を取り上げていただきました。

選者一人につき3冊を選ぶ形式なのですが、そのうちの1冊として挙げていただいています。当たり前ですがすべてをアップすることはできないので、一部分のみを:


特に、「古井の著書が類書全てと決定的に異なるのは、収められた論文の大変が北米第一級の学術誌だ」という評は、専門家でないとわからない(巽先生のような専門家でないとインパクトがわからない)点なので、そこを取り上げてくださったのがありがたかったです。詳しくは実際の紙面をご覧ください。77人もの選者がそれぞれの3冊を選んでおり、大変読み応えのあるものになっています。

巽先生は宮崎裕助さんの本も一緒にあげてくださってますが、こちらの本も「読むことのエチカ」(私の本だと「読むことの倫理」)について書いており、同時期に同じテーマに取り組んでいる本が出たのは奇遇です。

最初の単著をアメリカから出したときは、こうやって学会誌以外の場所で取り上げられるということはほとんど考えていなかったのですが、今回の本を出してから、学会以外の場で人にどう読まれるのかを気にかけるようになりました。

当たり前のことですが、学術書を含め、本は毎月のように大量に出版されており、そのなかで誰かの注意を引くということが本当に大変だと気づかされました。そういう意味でも、こうやって取り上げていただけるのはありがたいことです。引き続きどこかで取り上げてもらえるのを願っています。

2024年7月19日金曜日

阿部幸大さんの『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』

阿部幸大さんの『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』をご恵投いただきました。7月24日に発売予定のご本です:https://amzn.asia/d/0gxDM3a8。

このブログは私の仕事の告知用に運用しているので、他の方のお仕事を紹介したことはないのですが、この本に限ってはぜひ紹介したいと思いました。ある意味、論文指導をしている私自身に関係する本でもあるからです。

この本は、論文執筆という行為を脱神秘化し、民主化する画期的な本です。このブログを読んでいる学生の方がいれば、ぜひ手に取っていただきたいと思います。

阿部さんと私は、長らくメールなどを通じて論文執筆の教育について意見交換をしてきました。繰り返し話し合ってきたのは、「論文って大半はテクニックの問題だよね」という点でした。これは、論文執筆をテクニックという「瑣末」に見える次元に矮小化しているのではありません。そういう「瑣末」な問題でつまづいてしまう人が多いために、いいアイディアや議論があったとしても、論文という形で世に出すことが叶わない(査読に通らない)人が多いことを嘆いているのです。

私や阿部さんは超放任主義のところで育ったので、論文の書き方を教わるという経験はほぼなく、自力で論文の書き方を見つける必要がありました。少なくとも私は人の論文の見ようみまねで、ゼロから自分なりの論文の型というものを構築していかねばなりませんでした。日本の大学院で論文指導というものを受けた記憶はほとんどありません。「才能」とか「センス」とかではなく(そういう人もたくさんいるでしょう)、私の場合は生き延びるために「ド根性」でどうにかしてしまったのです。

阿部さんの本は、論文執筆を、そのように「自力でなんとかできてしまった人たち」の専有物ではなく、誰しもが獲得可能な技術として提示しています。そこがこの本の画期的なところです。私が冒頭で「民主化」という言葉を使ったのはそういう理由です。

また、自力で苦労した経験からすると、そもそもこういうテクニックの問題は早めに教えてもらえればよかった、という思いがあります。阿部さんの本は、そういう苦労を次世代に繰り返させまいとする善意の本でもあります。

自力で論文を書けるようになった人の中には、「いやいや、そういう試行錯誤が研究の地力を作るのであって、あえて教えるものではない」と反論する人がいるかもしれません。私も確かにそう思います。しかしそれは理想論であって、教えられるテクニックを教えてもらえないために、論文が書けず、キャリアを諦めざるを得ない人がいるのも事実です。大学院生が減少しつつあるなか、そういうエリート主義は不要で、民主化が必要なのです。

この本で具体的におすすめなのは、第3章「パラグラフをつくる」、第4章「パラグラフを解析する」、そして第7章「イントロダクションにすべてを書く」、です。学部生にも十分理解可能で実践可能なことばかりが書いてあります。

特に私はイントロダクションの重要性を日頃から口を酸っぱくして学生たちに伝えているので、阿部さんが本という形でそれを明文化してくれたのは大変ありがたいです。特に査読や審査の場において、イントロでほぼ全てが決まるということは、私のこれまでの投稿者側としての長い経験上、確信を持って言えます。イントロの重要性は、特に投稿数が多い海外ジャーナルに顕著で、日本の論文作法ではそこまで浸透していない価値観のように思えます。

実は一番難易度が高いのは、第1章「アーギュメントをつくる」だと考えています。これについては、私自身もまだうまくできていないことが多く、非常に勉強になりました。また、実力が伴っていない学生がこの指南にしたがってアーギュメントをつくってしまうと、見栄えだけがいい主張が先行し、例証が伴わないアンバランスな論文になってしまう場合もあるかもしれません。なので、この第1章は、これだけを取り出して理解するのではなく、この本の他の章も理解したうえでアプローチする必要があると思います。第1章、とてもわかりやすい風でありながら、それくらい高度な話をしています。

研究歴がそれなりに長い私にとっても勉強になるくらい、この本は不思議なほど門戸が広い稀有な本になっています。私は長らく論文指導には戸田山和久『論文の教室』を使ってきましたが、今後はこの本をメインに使うことになるでしょう。

私自身、日本における論文指導について長く考えてきたこともあり、思わず長文になってしまいました。時代を刷新するこの本、強くおすすめです。

2024年7月16日火曜日

『ユリイカ』ポール・オースター特集号に寄稿しました

『ユリイカ』のポール・オースター特集号が7月末に出版されます:http://seidosha.co.jp/book/index.php?id=3954&status=published。

私は「オースターとメルヴィル」というお題で依頼を受け、「寂しさの発明:オースターとメルヴィル」という論考を寄稿しました。

オースターが19世紀アメリカ文学に強い影響を受けているのは有名な話ですが、私は特に孤独と寂しさの描き方において、オースター作品にメルヴィルの影を読み取れるのではないか、という論を書いています。

取り上げた作品はもちろん、『孤独の発明』です。この作品には一度もメルヴィルの名前は出てこないのですが、メルヴィルを研究している目からすれば、どうしてもメルヴィルの影響をそこかしこに感じざるをえませんでした。

私は今でこそ19世紀アメリカ文学を専門にしていますが、アメリカ文学に興味を持ったきっかけは柴田元幸先生の『アメリカ文学のレッスン』と、柴田先生訳の『孤独の発明』でした。学部生のとき、『孤独の発明』冒頭の訳文の美しさに心打たれたときの衝撃をいまだに覚えています。

その後、卒論ではレイモンド・カーヴァーを扱い、大学院からメルヴィルをやるようになり、どんどんと現代アメリカ文学から離れていきました。その意味で、今回オースター作品を読み直して原稿を書く作業は、約20年越しに自分の原点に戻るような感覚でした。

また、いわゆる「論文」ではない文章を書くのは、書評を除いてほとんど初めてと言っていいと思います。今回のは「論考」と形容すればいいのかもしれませんが、呼び方はともあれ、新しいタイプの文章を書くのは新鮮な体験でした。

柴田先生はもちろん、豪華な執筆陣が寄稿していますのでご興味があれば手に取っていただければと思います。

2024年6月18日火曜日

論文が受理されました

メルヴィルの『戦争詩集』に関する論文が、ケンブリッジ大学出版局発行のJournal of American Studiesにアクセプトされました。このジャーナルに載せてもらうのは「バートルビー」論を載せて以来、二度目になります。

なかなか掲載が難しいジャーナルということもあって、喜びもひとしおです。違うジャーナルに一度はリジェクトされたこともあり、長い闘いでした。海外ジャーナル掲載に興味がある人のために、今回の掲載受理までのタイムラインを記します。

2022年3月:論文書き始め

2022年11月:とあるジャーナルに投稿

2023年6月:リジェクト通知

2023年8月:JASに投稿

2023年12月:査読結果通知。major revisionを求められる

2024年3月:修正稿を投稿。再査読

2024年6月:アクセプト!

というわけで、投稿から掲載まで一年半以上かかりました。

改稿要求がなかなか対応するのが難しいもので、かなり苦しかったです。もう諦めようと思ったりもしたのですが、ダメもとで歯を食いしばりながら書き直しました。結果的に諦めずよかったです。アクセプトの通知が来て、思わず「よっしゃ!」と叫んでしまいました。

これで海外ジャーナルでの論文掲載は10本目になりますが、毎回苦労は変わらないし、アクセプトされたときの喜びは何にも変え難いものがあります。やはり、目に見えない遠くの誰かを自分の文章(しかも英語という外国語)で説得できたということは、研究者として大きな自信になります。内輪向けの文章や論理では査読には通りません。

実際の掲載までまた時間がかかると思いますが、久しぶりに査読論文を通せてホッとしています。最近は海外での英語査読論文を出せていなかったので、まだ自分にその力があることが確認できたと言いますか。特に最近はメルヴィル単著も含めて日本語の仕事が多かったので、英語と日本語の両方で発信し続けることの難しさも感じているところです。

最近は依頼仕事に対応するので手いっぱいなのですが、査読論文の執筆も継続的に続けていきます。学会の仕事で人の論文を査読する機会も増えてきましたが、自分自身も常に査読され審査される側にいたいと思っています。

2024年4月26日金曜日

日本英文学会のシンポジアムに登壇します

来週末に東北大学にて日本英文学会全国大会が開催されますが、最終日の5月5日(日)にシンポジアムに登壇します。詳細は以下の通り:

第9部門(B棟2階B202教室)

健康・病・障害:19世紀アメリカ文学の新展開

司会・討論 中央大学教授 髙尾直知

講師 青山学院大学教授 古屋耕平

講師 広島経済大学准教授 本岡亜沙子

講師 明治学院大学専任講師 小椋道晃

講師 立教大学教授 古井義昭

私の発表要旨は以下の通りです:

「痛みを測る──Dickinson作品における言語と他者」

 Emily Dickinsonの詩作品の多くには、「痛み(pain)」がさまざまな形で描かれている。これは彼女が目の病を患ったという伝記的事実や、南北戦争の災禍を間接的に体験したという歴史的背景と無関係ではない。さらには、1846年にボストンで麻酔が発明されたことも、彼女の作品群における痛みの文化的意味を探るうえで重要である。

 痛みに満ちた世界を生きたDickinsonは、痛みを他者に伝える手段としての言語の可能性と限界について詩的思考を巡らせたはずである。言語は、痛みという極めて個人的かつ主観的経験をいかにして他者に伝達しうるのか。あるいは、人は言語を通じて他者の痛みをどこまで理解できるのか。本発表では、Dickinson作品における痛みと言語の関わりに焦点を当て、痛みが提示する他者性に彼女が詩人としてどう向き合い、作品へと昇華させたのかを吟味検討したい。Elaine ScarryからThomas Constantinescoに至る痛みに関する文化・文学研究を参照しつつ、“I measure every Grief I meet” (Fr550)などの詩群を議論の俎上に乗せたい。

ディキンソンは最初の単著Modernizing Solitudeで扱いましたが、彼女の詩を取り上げるのはだいぶ久しぶりです。

最近はこのシンポの準備に加え、海外からの共著依頼が二件ほどあり、そのアブストラクトなどを作成しています。英語圏で論文を発表し始めて10年ちょっと、ようやく海外からも原稿依頼が来るようになってホッとしているところがあります。一つはメルヴィル関係、もう一つは孤独関係の共著です。

自分の中の価値基準として、依頼仕事よりも、自分の意志で書いた査読論文や単著のほうがはるかに価値が高いのですが、今年は単著も出したことですし、依頼仕事に身を任せるのもいいかなと思っています。依頼仕事と自分のプロジェクトのバランスを考えながら、これから仕事をしていきたいと考えています。

『ピェール』論集が刊行されます

論集 『メルヴィルの黙示――『ピェール』を中核として』(小鳥遊書房)の見本が届きました。 メルヴィルの奇書『ピェール』だけを論じた論集で、これ自体が奇書と言えそうです(両方ともいい意味で言っています)。収められた論文はなんと22本。出版社による情報はこちらから: https://...