古井義昭の研究室
2024年12月21日土曜日
『週間読書人』で拙著が取り上げられました
2024年12月1日日曜日
岸まどかさんのご著書
岸まどかさんの第一単著、The Suicidal State: Race Suicide, Biopower, and the Sexuality of Population (Oxford University Press)が刊行されました。ご本人からご恵投いただき、読み進めている最中ですが、素晴らしい本なのでここで紹介します。
岸さんは大学院時代からの大切な友人で、留学準備や留学中など、大変な時期を互いに励まし合いながら一緒に乗り越えてきた戦友ともいうべき方です。長らくアメリカにご在住で、主に英語で研究発表をされてきたということもあり、もしかするとご研究活動が日本では広く知られていないかもしれませんが、とんでもなく優秀な方です。
本の概要を出版社のサイトから引用します:
The Suicidal State theorizes a biopolitics of suicide by mapping the entwinement between the Progressive-Era discourse of “race suicide” and period representations of literary suicide. Against the backdrop of the turn-of-the-century debates over immigration restrictions, “race suicide” suggests white Americans' low birth rate as foretelling an immanent extinction of the white race, prefiguring the contemporary white nationalist discourse, “replacement theory.” While race suicide personified the populational subject--the “race”--as a suicidal individual, Progressive-Era literature gave birth to a microgenre of literary suicides, including works by Henry James, Kate Chopin, Jack London, Gertrude Stein, and a series of Madame Butterfly texts.
The Suicidal State argues that suicides in these texts literalize the fear of race suicide as they thwart the biopolitical demands for self-preservation, survival, and reproduction, articulating queer deathways that betray the nation's reproductive imperative. Both in its figuration of race suicide and in literary suicides, self-inflected death is imagined as a uniquely agential act in its destruction of agency, offering a fertile space for the reconceptualization of biopower's subject formation as it traverses individual and social bodies. That is, the book argues that suicide poses a limit case for the biopolitical management over life. Suicide, as it was imagined at the turn of the century, refuses, nullifies, and parries its obligatory relation to both biopower's discipline of the individual and its management of the population, thereby forging new forms of subjectivity and ways of being in the world that sidestep the twin imperatives for preservation and procreation. In tracking these queer potentialities of suicide, The Suicidal State offers a new history of sex and race, of the relation between individual and collective, of the formation of a biopolitical state that Foucault calls a “racist State, a murderous State, and a suicidal State.”
この紹介にあるように、世紀転換期の小説群に見られる「自殺」のモチーフを、当時の人種をめぐる言説に位置付けながら論じる研究書になっています。The AwakeningのEdnaをはじめとして、アメリカ文学史における有名な自殺のモチーフが、「そのような読み方があったか!」という鮮やかな読解を通じて論じられていきます。
岸さんは理論の専門家でもあるので、私には難しいかな・・・と読む前は恐れをなしていたのですが、歴史的コンテクストも詳しく説明されるし、なにより作品の精読が基盤となっているので、私のような門外漢もついていける議論になっています。序章を読むだけで、議論の鮮やかさと密度に「すごい・・・」としか言葉が出てきません。
内容もさることながら、Oxford University Pressという超メジャーな出版社から単著を出した、という事実だけでもとんでもない快挙で、私には想像もつかないレベルのことを岸さんはやってのけています。私も海外から出版したことがあるのでわかるのですが、これは本当にとてつもないことです(語彙が追いつきません)。
岸さんは優れた翻訳家としてもご活躍中で、数年前にはご訳書、イヴ・コソフスキー・セジウィック 『タッチング・フィーリング: 情動・教育学・パフォーマティヴィティ』(小鳥遊書房、2022年)を刊行されています:https://amzn.asia/d/dkB3Sf6。
今回のご著書が、日本の研究者にも広く読まれることを願っています。
2024年9月8日日曜日
研究者研究のススメ
一人の研究者が書いたものを、時系列順に読み進めてゆく--そんな経験はあるでしょうか。
先日、紀伊國屋書店で阿部幸大さんとの対談が開催されましたが(お越しいただいた方々、ありがとうございました)、事前準備として、阿部さんが書いた論文を8本ほど時系列順に読むことで、「阿部幸大研究」をして臨みました。
そんなことをしたのは初めてだったのですが、これがとても勉強になったのでぜひお勧めしたいと思います。
阿部さんの論文はそのときそのときで目立ったものは読んでいたし、どういう研究をしているかは知っていたつもりだったのですが、時系列順に読むことで、一人の研究者が何をしようとしているか、そしてどのような成長の軌跡をたどっているかが深く理解できるようになりました。
例えば阿部さんであれば、精読を踏まえた伝統的な作品論をキャリア初期に書いて日本の媒体に発表しており、そして徐々にアメリカの媒体に発表し始め、最終的にはアメリカ文学分野のトップジャーナルであるAmerican Literatureに論文を発表する、という一つの成長ナラティヴがあります。
私はAmerican Literatureに掲載された論文を読んだとき、議論の組み立ての洗練度合いや、議論の射程の広さに感銘を受けたのですが、正直言って、あまり文学を精読で論じていない、というところが引っ掛かり(この雑誌に掲載されている論文はどれもそうなので、阿部さんのものに限らない不満です)、十分に評価しきれていませんでした。
ところが今回、時系列順に読んでいくと、「文学作品を精読で論じる」というところを通過し、それはもちろんやろうとすればできる、ということは踏まえたうえで、あえてAmerican Literatureに掲載されるための論の組み立てをしていることがよくわかりました。「やっていない」から「できない」のではなく、媒体に応じてやることを変えているわけです。こう書くと、当たり前すぎてなんじゃそりゃ、という感じかもしれませんが、その当たり前を腹の底で理解できたわけです。
トップジャーナルに掲載するために、自分がすでに持っている引き出しをあえて封印して、それまで持っていなかった力を改めて身につけてチャレンジした、というところに深く感銘を受けました。対談でも話しましたが、そういう自己改造ができるところが阿部さんの強みだと思います。
そうした志の高さは見習うべきものがあり、それに比べて私は同じところをぐるぐる回っているなという反省があります。そういうわけで、サバティカル中からここ2年ほどは自己改造中です(残念ながら、思うような結果は出ていません)。
個人的には、先日『誘惑する他者ーーメルヴィル文学の倫理』という、作品論をまとめた本を上梓したこともあり、作品論ではない、より射程の広い論文を書けるようようになりたいと努力しているところです。
もちろん、論文は筆者がどうこうというのは関係なく、論文単体で評価されるべきですが、自分自身のキャリアを考える意味でも、他の研究者のキャリアを追ってみることで得られる知見があると思います。「研究者研究」、私のように道に迷っている方にお勧めです。
2024年9月6日金曜日
日本メルヴィル学会で発表します
9月15日(日)に日本メルヴィル学会年次大会が龍谷大学大宮キャンパスで開催されます:https://www.melville-japan.org/。
私は以下のシンポに登壇します。
連続特別企画第2回「思想家を通してメルヴィルを語る」
司 会 竹内 勝徳 氏(鹿児島大学)
報告者
小椋 道晃 氏(明治学院大学)
古井 義昭 氏(立教大学)
この企画は、ジル・ドゥルーズ「バートルビー、または決まり文句」(『批評と臨床』所収)と、Michael Jonik, “Murmurs, Stutters, Foreign Intonations: Melville’s Unreadables”という二つのテクストをもとに、発表者各自で応答を試みるというものです。
学会プログラムでは公開されていませんが、私の現時点での発表タイトルは「Breaking Englishーーメルヴィルのテクストスケープ」というもので、主にドゥルーズの「マイナー文学」「脱領土化」といった概念を参照しながら、メルヴィル作品における英語のマイナー性について話をしようと思っています。メルヴィル文学をドゥルーズ・ガタリ的な意味とは違った意味での「マイナー文学」として読むことができるのではないか、というのが一つの主張になります。
発表タイトルにもある「テクストスケープ」というのは私の造語で、思いついたときは絶対に人文系ですでに論じられていると思ったのですが、まだ使われていないようです。これの意味するところは、テクストを一つの風景として捉え、ある言語によって占有される「領土」としてその風景を理解することにあります。英語で書かれた小説なら英語のテクストスケープを読者は目にするわけですが、メルヴィルの場合、英語の領土のなかにさまざまな外部への回路が用意されており、ハイブリッドなテクストスケープが提示されているように思います。
口頭発表のときはいつも論文化を前提にしているので、まずは論文を書き、それを圧縮したものが口頭発表の原稿となるのですが、今回は初めて論文化を前提としないで、口頭発表用の原稿を用意しています。
最近は他の論文で忙しく余裕がないというのもあるのですが、今回は議論を論文として完成させないで、少し自由にアイディアを試すということをあえてやってみようと思いました。頑張ります。
2024年8月27日火曜日
トークイベント
阿部幸大さんとのトークイベントが8/29(木)に迫りました。
同業者の方、院生の方、学部生の方、私の本の読者の方、等々、どんな方でも大歓迎ですので、ご興味があればぜひいらしてください!
阿部幸大×古井義昭 対談!
アカデミック・スキルと日本の人文学の未来
長年アカデミック・スキルについて(密かに)語り合ってきた2人が、その「手の内」を明かす!
大学院在学中から国内外で成果を出しつづけてきた多産な2人は、どのように読み、書いてきたのか。
論文の執筆・投稿はもちろん、日々の英語の勉強から、アイディアの練りかた、論文と単著、そして日本とアメリカの違いまで、日本の人文学の「これから」を担う世代に、なんでも教えちゃう対談トークイベントです。
より細かい詳細はこちらからご覧ください:https://store.kinokuniya.co.jp/event/1722422155/。オンラインでも視聴できます。
2024年8月7日水曜日
阿部幸大さんとのトークイベント@紀伊國屋書店 新宿本店
阿部幸大さんと、紀伊国屋書店新宿本店にてトークイベントを開催することになりました。8月29日(木)、18時からです。以下が概要になります。
阿部幸大×古井義昭 対談!
アカデミック・スキルと日本の人文学の未来
長年アカデミック・スキルについて(密かに)語り合ってきた2人が、その「手の内」を明かす!
大学院在学中から国内外で成果を出しつづけてきた多産な2人は、どのように読み、書いてきたのか。
論文の執筆・投稿はもちろん、日々の英語の勉強から、アイディアの練りかた、論文と単著、そして日本とアメリカの違いまで、日本の人文学の「これから」を担う世代に、なんでも教えちゃう対談トークイベントです。
より細かい詳細はこちらからご覧ください:https://store.kinokuniya.co.jp/event/1722422155/。オンラインでも視聴できます。
先日発売された阿部さんの『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』はすごい売れ行きのようで、今回のイベントに参加されるのは、阿部さん目当ての方が大勢ではないかと思います。長らく阿部さんの研究と成長の軌跡をウォッチしてきた身として、この本の良さを引き出せればと思っています。
ただ、もし私の話を聞きたいと思ってくれる方が少しでもいるなら、とても嬉しく思います。まあ、私のサインなど欲しい人がいるとは思いませんが、身近な人たちにサインするときに使っている猫のスタンプを一応持っていきます(笑)。
もちろん「対談イベント」ですので、お互いの研究観や人文学の意味、研究にまつわるもろもろについて意見交換するつもりで、私も非常に楽しみにしています。
ご興味がある方はぜひご参加ください!
2024年7月20日土曜日
『図書新聞』上半期アンケートで取り上げられました
本日(7/20)発売の『図書新聞』最新号の「上半期読書アンケート」で、巽孝之先生に拙著『誘惑する他者:メルヴィル文学の倫理』を取り上げていただきました。
選者一人につき3冊を選ぶ形式なのですが、そのうちの1冊として挙げていただいています。当たり前ですがすべてをアップすることはできないので、一部分のみを:
特に、「古井の著書が類書全てと決定的に異なるのは、収められた論文の大変が北米第一級の学術誌だ」という評は、専門家でないとわからない(巽先生のような専門家でないとインパクトがわからない)点なので、そこを取り上げてくださったのがありがたかったです。詳しくは実際の紙面をご覧ください。77人もの選者がそれぞれの3冊を選んでおり、大変読み応えのあるものになっています。
巽先生は宮崎裕助さんの本も一緒にあげてくださってますが、こちらの本も「読むことのエチカ」(私の本だと「読むことの倫理」)について書いており、同時期に同じテーマに取り組んでいる本が出たのは奇遇です。
最初の単著をアメリカから出したときは、こうやって学会誌以外の場所で取り上げられるということはほとんど考えていなかったのですが、今回の本を出してから、学会以外の場で人にどう読まれるのかを気にかけるようになりました。当たり前のことですが、学術書を含め、本は毎月のように大量に出版されており、そのなかで誰かの注意を引くということが本当に大変だと気づかされました。そういう意味でも、こうやって取り上げていただけるのはありがたいことです。引き続きどこかで取り上げてもらえるのを願っています。
『週間読書人』で拙著が取り上げられました
12月20日刊行『週間読書人』の「2024年回顧--収獲動向」という特集で、拙著『誘惑する他者:メルヴィル文学の倫理』が取り上げられました。評者は福岡女子大学の長岡真吾先生です。 「海外学術誌に掲載された論文を日本語にしてまとめた精緻な労作」と紹介してくださっています。ありがとう...
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一人の研究者が書いたものを、時系列順に読み進めてゆく-- そんな経験はあるでしょうか。 先日、紀伊國屋書店で阿部幸大さんとの対談が開催されましたが(お越しいただいた方々、ありがとうございました)、事前準備として、阿部さんが書いた論文を8本ほど時系列順に読むことで、「阿部幸大研究」...
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阿部幸大さんの『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』をご恵投いただきました。7月24日に発売予定のご本です: https://amzn.asia/d/0gxDM3a8 。 このブログは私の仕事の告知用に運用しているので、他の方のお仕事を紹介したことはないのですが、こ...
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公開からずいぶん時間が経ってしまいましたが、筑波大学の阿部幸大さんがブログで「古井義昭『誘惑する他者:メルヴィル文学の倫理』の取扱説明書」というタイトルの書評を書いてくださいました: https://abc-kd.hatenablog.com/entry/2024/03/09/1...