2024年9月8日日曜日

研究者研究のススメ

一人の研究者が書いたものを、時系列順に読み進めてゆく--そんな経験はあるでしょうか。

先日、紀伊國屋書店で阿部幸大さんとの対談が開催されましたが(お越しいただいた方々、ありがとうございました)、事前準備として、阿部さんが書いた論文を8本ほど時系列順に読むことで、「阿部幸大研究」をして臨みました。

そんなことをしたのは初めてだったのですが、これがとても勉強になったのでぜひお勧めしたいと思います。

阿部さんの論文はそのときそのときで目立ったものは読んでいたし、どういう研究をしているかは知っていたつもりだったのですが、時系列順に読むことで、一人の研究者が何をしようとしているか、そしてどのような成長の軌跡をたどっているかが深く理解できるようになりました。

例えば阿部さんであれば、精読を踏まえた伝統的な作品論をキャリア初期に書いて日本の媒体に発表しており、そして徐々にアメリカの媒体に発表し始め、最終的にはアメリカ文学分野のトップジャーナルであるAmerican Literatureに論文を発表する、という一つの成長ナラティヴがあります。

私はAmerican Literatureに掲載された論文を読んだとき、議論の組み立ての洗練度合いや、議論の射程の広さに感銘を受けたのですが、正直言って、あまり文学を精読で論じていない、というところが引っ掛かり(この雑誌に掲載されている論文はどれもそうなので、阿部さんのものに限らない不満です)、十分に評価しきれていませんでした。

ところが今回、時系列順に読んでいくと、「文学作品を精読で論じる」というところを通過し、それはもちろんやろうとすればできる、ということは踏まえたうえで、あえてAmerican Literatureに掲載されるための論の組み立てをしていることがよくわかりました。「やっていない」から「できない」のではなく、媒体に応じてやることを変えているわけです。こう書くと、当たり前すぎてなんじゃそりゃ、という感じかもしれませんが、その当たり前を腹の底で理解できたわけです。

トップジャーナルに掲載するために、自分がすでに持っている引き出しをあえて封印して、それまで持っていなかった力を改めて身につけてチャレンジした、というところに深く感銘を受けました。対談でも話しましたが、そういう自己改造ができるところが阿部さんの強みだと思います。

そうした志の高さは見習うべきものがあり、それに比べて私は同じところをぐるぐる回っているなという反省があります。そういうわけで、サバティカル中からここ2年ほどは自己改造中です(残念ながら、思うような結果は出ていません)。

個人的には、先日『誘惑する他者ーーメルヴィル文学の倫理』という、作品論をまとめた本を上梓したこともあり、作品論ではない、より射程の広い論文を書けるようようになりたいと努力しているところです。

もちろん、論文は筆者がどうこうというのは関係なく、論文単体で評価されるべきですが、自分自身のキャリアを考える意味でも、他の研究者のキャリアを追ってみることで得られる知見があると思います。「研究者研究」、私のように道に迷っている方にお勧めです。

2024年9月6日金曜日

日本メルヴィル学会で発表します

 9月15日(日)に日本メルヴィル学会年次大会が龍谷大学大宮キャンパスで開催されます:https://www.melville-japan.org/

私は以下のシンポに登壇します。

連続特別企画第2回「思想家を通してメルヴィルを語る」

司 会 竹内 勝徳 氏(鹿児島大学)

報告者 

小椋 道晃 氏(明治学院大学)

古井 義昭 氏(立教大学)

この企画は、ジル・ドゥルーズ「バートルビー、または決まり文句」(『批評と臨床』所収)と、Michael Jonik, “Murmurs, Stutters, Foreign Intonations: Melville’s Unreadables”という二つのテクストをもとに、発表者各自で応答を試みるというものです。

学会プログラムでは公開されていませんが、私の現時点での発表タイトルは「Breaking Englishーーメルヴィルのテクストスケープ」というもので、主にドゥルーズの「マイナー文学」「脱領土化」といった概念を参照しながら、メルヴィル作品における英語のマイナー性について話をしようと思っています。メルヴィル文学をドゥルーズ・ガタリ的な意味とは違った意味での「マイナー文学」として読むことができるのではないか、というのが一つの主張になります。

発表タイトルにもある「テクストスケープ」というのは私の造語で、思いついたときは絶対に人文系ですでに論じられていると思ったのですが、まだ使われていないようです。これの意味するところは、テクストを一つの風景として捉え、ある言語によって占有される「領土」としてその風景を理解することにあります。英語で書かれた小説なら英語のテクストスケープを読者は目にするわけですが、メルヴィルの場合、英語の領土のなかにさまざまな外部への回路が用意されており、ハイブリッドなテクストスケープが提示されているように思います。

口頭発表のときはいつも論文化を前提にしているので、まずは論文を書き、それを圧縮したものが口頭発表の原稿となるのですが、今回は初めて論文化を前提としないで、口頭発表用の原稿を用意しています。

最近は他の論文で忙しく余裕がないというのもあるのですが、今回は議論を論文として完成させないで、少し自由にアイディアを試すということをあえてやってみようと思いました。頑張ります。



2024年8月27日火曜日

トークイベント

阿部幸大さんとのトークイベントが8/29(木)に迫りました。

同業者の方、院生の方、学部生の方、私の本の読者の方、等々、どんな方でも大歓迎ですので、ご興味があればぜひいらしてください!

阿部幸大×古井義昭 対談!

アカデミック・スキルと日本の人文学の未来

長年アカデミック・スキルについて(密かに)語り合ってきた2人が、その「手の内」を明かす!

大学院在学中から国内外で成果を出しつづけてきた多産な2人は、どのように読み、書いてきたのか。

論文の執筆・投稿はもちろん、日々の英語の勉強から、アイディアの練りかた、論文と単著、そして日本とアメリカの違いまで、日本の人文学の「これから」を担う世代に、なんでも教えちゃう対談トークイベントです。

より細かい詳細はこちらからご覧ください:https://store.kinokuniya.co.jp/event/1722422155/。オンラインでも視聴できます。

2024年8月7日水曜日

阿部幸大さんとのトークイベント@紀伊國屋書店 新宿本店

阿部幸大さんと、紀伊国屋書店新宿本店にてトークイベントを開催することになりました。8月29日(木)、18時からです。以下が概要になります。

阿部幸大×古井義昭 対談!

アカデミック・スキルと日本の人文学の未来

長年アカデミック・スキルについて(密かに)語り合ってきた2人が、その「手の内」を明かす!

大学院在学中から国内外で成果を出しつづけてきた多産な2人は、どのように読み、書いてきたのか。

論文の執筆・投稿はもちろん、日々の英語の勉強から、アイディアの練りかた、論文と単著、そして日本とアメリカの違いまで、日本の人文学の「これから」を担う世代に、なんでも教えちゃう対談トークイベントです。

より細かい詳細はこちらからご覧ください:https://store.kinokuniya.co.jp/event/1722422155/。オンラインでも視聴できます。

先日発売された阿部さんの『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』はすごい売れ行きのようで、今回のイベントに参加されるのは、阿部さん目当ての方が大勢ではないかと思います。長らく阿部さんの研究と成長の軌跡をウォッチしてきた身として、この本の良さを引き出せればと思っています。

ただ、もし私の話を聞きたいと思ってくれる方が少しでもいるなら、とても嬉しく思います。まあ、私のサインなど欲しい人がいるとは思いませんが、身近な人たちにサインするときに使っている猫のスタンプを一応持っていきます(笑)。

もちろん「対談イベント」ですので、お互いの研究観や人文学の意味、研究にまつわるもろもろについて意見交換するつもりで、私も非常に楽しみにしています。

ご興味がある方はぜひご参加ください! 


2024年7月20日土曜日

『図書新聞』上半期アンケートで取り上げられました

本日(7/20)発売の『図書新聞』最新号の「上半期読書アンケート」で、巽孝之先生に拙著『誘惑する他者:メルヴィル文学の倫理』を取り上げていただきました。

選者一人につき3冊を選ぶ形式なのですが、そのうちの1冊として挙げていただいています。当たり前ですがすべてをアップすることはできないので、一部分のみを:


特に、「古井の著書が類書全てと決定的に異なるのは、収められた論文の大変が北米第一級の学術誌だ」という評は、専門家でないとわからない(巽先生のような専門家でないとインパクトがわからない)点なので、そこを取り上げてくださったのがありがたかったです。詳しくは実際の紙面をご覧ください。77人もの選者がそれぞれの3冊を選んでおり、大変読み応えのあるものになっています。

巽先生は宮崎裕助さんの本も一緒にあげてくださってますが、こちらの本も「読むことのエチカ」(私の本だと「読むことの倫理」)について書いており、同時期に同じテーマに取り組んでいる本が出たのは奇遇です。

最初の単著をアメリカから出したときは、こうやって学会誌以外の場所で取り上げられるということはほとんど考えていなかったのですが、今回の本を出してから、学会以外の場で人にどう読まれるのかを気にかけるようになりました。

当たり前のことですが、学術書を含め、本は毎月のように大量に出版されており、そのなかで誰かの注意を引くということが本当に大変だと気づかされました。そういう意味でも、こうやって取り上げていただけるのはありがたいことです。引き続きどこかで取り上げてもらえるのを願っています。

2024年7月19日金曜日

阿部幸大さんの『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』

阿部幸大さんの『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』をご恵投いただきました。7月24日に発売予定のご本です:https://amzn.asia/d/0gxDM3a8

このブログは私の仕事の告知用に運用しているので、他の方のお仕事を紹介したことはないのですが、この本に限ってはぜひ紹介したいと思いました。ある意味、論文指導をしている私自身に関係する本でもあるからです。

この本は、論文執筆という行為を脱神秘化し、民主化する画期的な本です。このブログを読んでいる学生の方がいれば、ぜひ手に取っていただきたいと思います。

阿部さんと私は、長らくメールなどを通じて論文執筆の教育について意見交換をしてきました。繰り返し話し合ってきたのは、「論文って大半はテクニックの問題だよね」という点でした。これは、論文執筆をテクニックという「瑣末」に見える次元に矮小化しているのではありません。そういう「瑣末」な問題でつまづいてしまう人が多いために、いいアイディアや議論があったとしても、論文という形で世に出すことが叶わない(査読に通らない)人が多いことを嘆いているのです。

私や阿部さんは超放任主義のところで育ったので、論文の書き方を教わるという経験はほぼなく、自力で論文の書き方を見つける必要がありました。少なくとも私は人の論文の見ようみまねで、ゼロから自分なりの論文の型というものを構築していかねばなりませんでした。日本の大学院で論文指導というものを受けた記憶はほとんどありません。「才能」とか「センス」とかではなく(そういう人もたくさんいるでしょう)、私の場合は生き延びるために「ド根性」でどうにかしてしまったのです。

阿部さんの本は、論文執筆を、そのように「自力でなんとかできてしまった人たち」の専有物ではなく、誰しもが獲得可能な技術として提示しています。そこがこの本の画期的なところです。私が冒頭で「民主化」という言葉を使ったのはそういう理由です。

また、自力で苦労した経験からすると、そもそもこういうテクニックの問題は早めに教えてもらえればよかった、という思いがあります。阿部さんの本は、そういう苦労を次世代に繰り返させまいとする善意の本でもあります。

自力で論文を書けるようになった人の中には、「いやいや、そういう試行錯誤が研究の地力を作るのであって、あえて教えるものではない」と反論する人がいるかもしれません。私も確かにそう思います。しかしそれは理想論であって、教えられるテクニックを教えてもらえないために、論文が書けず、キャリアを諦めざるを得ない人がいるのも事実です。大学院生が減少しつつあるなか、そういうエリート主義は不要で、民主化が必要なのです。

この本で具体的におすすめなのは、第3章「パラグラフをつくる」、第4章「パラグラフを解析する」、そして第7章「イントロダクションにすべてを書く」、です。学部生にも十分理解可能で実践可能なことばかりが書いてあります。

特に私はイントロダクションの重要性を日頃から口を酸っぱくして学生たちに伝えているので、阿部さんが本という形でそれを明文化してくれたのは大変ありがたいです。特に査読や審査の場において、イントロでほぼ全てが決まるということは、私のこれまでの投稿者側としての長い経験上、確信を持って言えます。イントロの重要性は、特に投稿数が多い海外ジャーナルに顕著で、日本の論文作法ではそこまで浸透していない価値観のように思えます。

実は一番難易度が高いのは、第1章「アーギュメントをつくる」だと考えています。これについては、私自身もまだうまくできていないことが多く、非常に勉強になりました。また、実力が伴っていない学生がこの指南にしたがってアーギュメントをつくってしまうと、見栄えだけがいい主張が先行し、例証が伴わないアンバランスな論文になってしまう場合もあるかもしれません。なので、この第1章は、これだけを取り出して理解するのではなく、この本の他の章も理解したうえでアプローチする必要があると思います。第1章、とてもわかりやすい風でありながら、それくらい高度な話をしています。

研究歴がそれなりに長い私にとっても勉強になるくらい、この本は不思議なほど門戸が広い稀有な本になっています。私は長らく論文指導には戸田山和久『論文の教室』を使ってきましたが、今後はこの本をメインに使うことになるでしょう。

私自身、日本における論文指導について長く考えてきたこともあり、思わず長文になってしまいました。時代を刷新するこの本、強くおすすめです。

2024年7月16日火曜日

『ユリイカ』ポール・オースター特集号に寄稿しました

 『ユリイカ』のポール・オースター特集号が7月末に出版されます:http://seidosha.co.jp/book/index.php?id=3954&status=published

私は「オースターとメルヴィル」というお題で依頼を受け、「寂しさの発明:オースターとメルヴィル」という論考を寄稿しました。

オースターが19世紀アメリカ文学に強い影響を受けているのは有名な話ですが、私は特に孤独と寂しさの描き方において、オースター作品にメルヴィルの影を読み取れるのではないか、という論を書いています。

取り上げた作品はもちろん、『孤独の発明』です。この作品には一度もメルヴィルの名前は出てこないのですが、メルヴィルを研究している目からすれば、どうしてもメルヴィルの影響をそこかしこに感じざるをえませんでした。

私は今でこそ19世紀アメリカ文学を専門にしていますが、アメリカ文学に興味を持ったきっかけは柴田元幸先生の『アメリカ文学のレッスン』と、柴田先生訳の『孤独の発明』でした。学部生のとき、『孤独の発明』冒頭の訳文の美しさに心打たれたときの衝撃をいまだに覚えています。

その後、卒論ではレイモンド・カーヴァーを扱い、大学院からメルヴィルをやるようになり、どんどんと現代アメリカ文学から離れていきました。その意味で、今回オースター作品を読み直して原稿を書く作業は、約20年越しに自分の原点に戻るような感覚でした。

また、いわゆる「論文」ではない文章を書くのは、書評を除いてほとんど初めてと言っていいと思います。今回のは「論考」と形容すればいいのかもしれませんが、呼び方はともあれ、新しいタイプの文章を書くのは新鮮な体験でした。

柴田先生はもちろん、豪華な執筆陣が寄稿していますのでご興味があれば手に取っていただければと思います。

研究者研究のススメ

一人の研究者が書いたものを、時系列順に読み進めてゆく-- そんな経験はあるでしょうか。 先日、紀伊國屋書店で阿部幸大さんとの対談が開催されましたが(お越しいただいた方々、ありがとうございました)、事前準備として、阿部さんが書いた論文を8本ほど時系列順に読むことで、「阿部幸大研究」...