2024年12月28日土曜日

2024年の仕事

今年の仕事の振り返りをします。今年の仕事は以下の通りです。

【単著】

『誘惑する他者──メルヴィル文学の倫理』法政大学出版局、2024年。

【査読論文】

"Ventriloquizing the South: Reading Melville across the Civil War." Journal of American Studies, forthcoming.  

【その他の書いたもの】

・「寂しさの発明──オースターとメルヴィル」『ユリイカ ポール・オースター特集号』pp. 186-94、2024年。

・(書評)西谷拓哉・髙尾直知・城戸光世編著『ロマンスの倫理と語り──いまホーソーンを読む理由』 (開文社、2023年)、『英文学研究』第101号、pp. 155-59、2024年。

【口頭発表等】

・(学会発表)「痛みを測る──Dickinson作品における言語と他者」第96回日本英文学会シンポジウム 「健康・病・障害──19世紀アメリカ文学の新展開」、 2024年5月5日、東北大学

・(学会発表)「Breaking English──メルヴィルのテクストスケープ」第11回日本メルヴィル学会「思想家を通してメルヴィルを語る」、2024年9月15日、龍谷大学 

・(阿部幸大氏との対談)「アカデミック・スキルと日本の人文学の未来」2024年8月29日、紀伊國屋書店新宿本店

今年はなによりメルヴィルに関する単著を出版したことが大きな成果ですが、もうだいぶ前の話ですし、10年間の研究成果をまとめた本なので、「今年の仕事」という感じがしません。

Journal of American Studiesに掲載が決まった論文は、本来は今年出版予定だったのですが、ケンブリッジ大学出版局がサイバー攻撃を受けて復旧に時間がかかっており、世に出るのは来年になってしまいました。サバティカル時代に書いた論文がいいジャーナルに掲載が決まって嬉しいです。

上記以外にも、今年はこれから出る共著など、書き仕事をけっこうやりました。今後の出版予定などを以下に記します。

【共著】

・上記のディキンソンと痛みに関する論を論文化し、国内の共著に寄稿。2025年出版予定。

・solitudeに関する海外の共著に寄稿。2026年出版予定。現在、編者のコメントを受けて改稿中。

・メルヴィルに関する海外の共著に寄稿。2026年出版予定。

【項目執筆】

・アメリカ文学史の教科書にソローに関する項目を二つ寄稿。2025年出版予定。

【学会発表】

・2025年、アメリカでの国際メルヴィル学会で発表予定。 

今年はとにかく校務に追われまくって研究ができなかった、という記憶しかないのですが、こうしてまとめてみるとそれなりに頑張ったように思えます。特に海外から共著執筆依頼が二つあったのは、英語での研究活動が向こうでも認められたようで嬉しく、頑張って原稿を書きました。

来年は今年以上に校務が忙しくなりそうなのですが、なんとか自分の研究時間を守れるように頑張っていきたいです。

大学に就職して以来、長期休みごとに英語論文を一本書き、それを海外ジャーナルに投稿するというペースを死守してきましたが、今年は依頼原稿を書くので手一杯で、初めてそれができませんでした。これまで自分の研究、自分のペースを守ることに囚われてきたところがあるので、ある程度は依頼に身を委ねて仕事の幅を広げつつ、一方では査読論文を書くということも継続していきたいです。

2024年12月27日金曜日

書評が掲載されました

書評といっても、自分の本の書評ではなく、自分が書いた書評です。日本英文学会発行の『英文学研究』最新号に、西谷拓哉・髙尾直知・城戸光世編著『ロマンスの倫理と語り--いまホーソーンを読む理由』(開文社、2023年)が掲載されました。本の書誌情報はこちらから:https://www.kaibunsha.co.jp/books/view/2900

私はホーソーンが「苦手」なのですが、そういう苦手意識を持っている人にこそ読まれるべき論集である、という評を寄せています。苦手と言いつつ、論文も書いたことがあるし、授業では毎年のようにホーソーン作品を購読しているのですが。この論集を読んで、自分もホーソーン論を書こうかという気にさせられました。

2024年12月21日土曜日

『週間読書人』で拙著が取り上げられました

12月20日刊行『週間読書人』の「2024年回顧--収獲動向」という特集で、拙著『誘惑する他者:メルヴィル文学の倫理』が取り上げられました。評者は福岡女子大学の長岡真吾先生です。

「海外学術誌に掲載された論文を日本語にしてまとめた精緻な労作」と紹介してくださっています。ありがとうございます。

他にもいくつかの研究書と、さまざまな翻訳書が紹介されています。大きくない紙面ですが、そのなかにぎっしりと今年の「収穫」がまとめられています。

2024年12月1日日曜日

岸まどかさんのご著書

岸まどかさんの第一単著、The Suicidal State: Race Suicide, Biopower, and the Sexuality of Population (Oxford University Press)が刊行されました。ご本人からご恵投いただき、読み進めている最中ですが、素晴らしい本なのでここで紹介します。

岸さんは大学院時代からの大切な友人で、留学準備や留学中など、大変な時期を互いに励まし合いながら一緒に乗り越えてきた戦友ともいうべき方です。長らくアメリカにご在住で、主に英語で研究発表をされてきたということもあり、もしかするとご研究活動が日本では広く知られていないかもしれませんが、とんでもなく優秀な方です。

本の概要を出版社のサイトから引用します:

The Suicidal State theorizes a biopolitics of suicide by mapping the entwinement between the Progressive-Era discourse of “race suicide” and period representations of literary suicide. Against the backdrop of the turn-of-the-century debates over immigration restrictions, “race suicide” suggests white Americans' low birth rate as foretelling an immanent extinction of the white race, prefiguring the contemporary white nationalist discourse, “replacement theory.” While race suicide personified the populational subject--the “race”--as a suicidal individual, Progressive-Era literature gave birth to a microgenre of literary suicides, including works by Henry James, Kate Chopin, Jack London, Gertrude Stein, and a series of Madame Butterfly texts.

The Suicidal State argues that suicides in these texts literalize the fear of race suicide as they thwart the biopolitical demands for self-preservation, survival, and reproduction, articulating queer deathways that betray the nation's reproductive imperative. Both in its figuration of race suicide and in literary suicides, self-inflected death is imagined as a uniquely agential act in its destruction of agency, offering a fertile space for the reconceptualization of biopower's subject formation as it traverses individual and social bodies. That is, the book argues that suicide poses a limit case for the biopolitical management over life. Suicide, as it was imagined at the turn of the century, refuses, nullifies, and parries its obligatory relation to both biopower's discipline of the individual and its management of the population, thereby forging new forms of subjectivity and ways of being in the world that sidestep the twin imperatives for preservation and procreation. In tracking these queer potentialities of suicide, The Suicidal State offers a new history of sex and race, of the relation between individual and collective, of the formation of a biopolitical state that Foucault calls a “racist State, a murderous State, and a suicidal State.”

この紹介にあるように、世紀転換期の小説群に見られる「自殺」のモチーフを、当時の人種をめぐる言説に位置付けながら論じる研究書になっています。The AwakeningのEdnaをはじめとして、アメリカ文学史における有名な自殺のモチーフが、「そのような読み方があったか!」という鮮やかな読解を通じて論じられていきます。

岸さんは理論の専門家でもあるので、私には難しいかな・・・と読む前は恐れをなしていたのですが、歴史的コンテクストも詳しく説明されるし、なにより作品の精読が基盤となっているので、私のような門外漢もついていける議論になっています。序章を読むだけで、議論の鮮やかさと密度に「すごい・・・」としか言葉が出てきません。

内容もさることながら、Oxford University Pressという超メジャーな出版社から単著を出した、という事実だけでもとんでもない快挙で、私には想像もつかないレベルのことを岸さんはやってのけています。私も海外から出版したことがあるのでわかるのですが、これは本当にとてつもないことです(語彙が追いつきません)。

岸さんは優れた翻訳家としてもご活躍中で、数年前にはご訳書、イヴ・コソフスキー・セジウィック 『タッチング・フィーリング: 情動・教育学・パフォーマティヴィティ』(小鳥遊書房、2022年)を刊行されています:https://amzn.asia/d/dkB3Sf6

今回のご著書が、日本の研究者にも広く読まれることを願っています。 

2024年の仕事

今年の仕事の振り返りをします。今年の仕事は以下の通りです。 【単著】 『誘惑する他者──メルヴィル文学の倫理』法政大学出版局、2024年。 【査読論文】 "Ventriloquizing the South: Reading Melville across the Ci...