阿部幸大さんの『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』をご恵投いただきました。7月24日に発売予定のご本です:https://amzn.asia/d/0gxDM3a8。
このブログは私の仕事の告知用に運用しているので、他の方のお仕事を紹介したことはないのですが、この本に限ってはぜひ紹介したいと思いました。ある意味、論文指導をしている私自身に関係する本でもあるからです。
この本は、論文執筆という行為を脱神秘化し、民主化する画期的な本です。このブログを読んでいる学生の方がいれば、ぜひ手に取っていただきたいと思います。
阿部さんと私は、長らくメールなどを通じて論文執筆の教育について意見交換をしてきました。繰り返し話し合ってきたのは、「論文って大半はテクニックの問題だよね」という点でした。これは、論文執筆をテクニックという「瑣末」に見える次元に矮小化しているのではありません。そういう「瑣末」な問題でつまづいてしまう人が多いために、いいアイディアや議論があったとしても、論文という形で世に出すことが叶わない(査読に通らない)人が多いことを嘆いているのです。
私や阿部さんは超放任主義のところで育ったので、論文の書き方を教わるという経験はほぼなく、自力で論文の書き方を見つける必要がありました。少なくとも私は人の論文の見ようみまねで、ゼロから自分なりの論文の型というものを構築していかねばなりませんでした。日本の大学院で論文指導というものを受けた記憶はほとんどありません。「才能」とか「センス」とかではなく(そういう人もたくさんいるでしょう)、私の場合は生き延びるために「ド根性」でどうにかしてしまったのです。
阿部さんの本は、論文執筆を、そのように「自力でなんとかできてしまった人たち」の専有物ではなく、誰しもが獲得可能な技術として提示しています。そこがこの本の画期的なところです。私が冒頭で「民主化」という言葉を使ったのはそういう理由です。
また、自力で苦労した経験からすると、そもそもこういうテクニックの問題は早めに教えてもらえればよかった、という思いがあります。阿部さんの本は、そういう苦労を次世代に繰り返させまいとする善意の本でもあります。
自力で論文を書けるようになった人の中には、「いやいや、そういう試行錯誤が研究の地力を作るのであって、あえて教えるものではない」と反論する人がいるかもしれません。私も確かにそう思います。しかしそれは理想論であって、教えられるテクニックを教えてもらえないために、論文が書けず、キャリアを諦めざるを得ない人がいるのも事実です。大学院生が減少しつつあるなか、そういうエリート主義は不要で、民主化が必要なのです。
この本で具体的におすすめなのは、第3章「パラグラフをつくる」、第4章「パラグラフを解析する」、そして第7章「イントロダクションにすべてを書く」、です。学部生にも十分理解可能で実践可能なことばかりが書いてあります。
特に私はイントロダクションの重要性を日頃から口を酸っぱくして学生たちに伝えているので、阿部さんが本という形でそれを明文化してくれたのは大変ありがたいです。特に査読や審査の場において、イントロでほぼ全てが決まるということは、私のこれまでの投稿者側としての長い経験上、確信を持って言えます。イントロの重要性は、特に投稿数が多い海外ジャーナルに顕著で、日本の論文作法ではそこまで浸透していない価値観のように思えます。
実は一番難易度が高いのは、第1章「アーギュメントをつくる」だと考えています。これについては、私自身もまだうまくできていないことが多く、非常に勉強になりました。また、実力が伴っていない学生がこの指南にしたがってアーギュメントをつくってしまうと、見栄えだけがいい主張が先行し、例証が伴わないアンバランスな論文になってしまう場合もあるかもしれません。なので、この第1章は、これだけを取り出して理解するのではなく、この本の他の章も理解したうえでアプローチする必要があると思います。第1章、とてもわかりやすい風でありながら、それくらい高度な話をしています。
研究歴がそれなりに長い私にとっても勉強になるくらい、この本は不思議なほど門戸が広い稀有な本になっています。私は長らく論文指導には戸田山和久『論文の教室』を使ってきましたが、今後はこの本をメインに使うことになるでしょう。
私自身、日本における論文指導について長く考えてきたこともあり、思わず長文になってしまいました。時代を刷新するこの本、強くおすすめです。