来週末に東北大学にて日本英文学会全国大会が開催されますが、最終日の5月5日(日)にシンポジアムに登壇します。詳細は以下の通り:
第9部門(B棟2階B202教室)
健康・病・障害:19世紀アメリカ文学の新展開
司会・討論 中央大学教授 髙尾直知
講師 青山学院大学教授 古屋耕平
講師 広島経済大学准教授 本岡亜沙子
講師 明治学院大学専任講師 小椋道晃
講師 立教大学教授 古井義昭
私の発表要旨は以下の通りです:
「痛みを測る──Dickinson作品における言語と他者」
Emily Dickinsonの詩作品の多くには、「痛み(pain)」がさまざまな形で描かれている。これは彼女が目の病を患ったという伝記的事実や、南北戦争の災禍を間接的に体験したという歴史的背景と無関係ではない。さらには、1846年にボストンで麻酔が発明されたことも、彼女の作品群における痛みの文化的意味を探るうえで重要である。
痛みに満ちた世界を生きたDickinsonは、痛みを他者に伝える手段としての言語の可能性と限界について詩的思考を巡らせたはずである。言語は、痛みという極めて個人的かつ主観的経験をいかにして他者に伝達しうるのか。あるいは、人は言語を通じて他者の痛みをどこまで理解できるのか。本発表では、Dickinson作品における痛みと言語の関わりに焦点を当て、痛みが提示する他者性に彼女が詩人としてどう向き合い、作品へと昇華させたのかを吟味検討したい。Elaine ScarryからThomas Constantinescoに至る痛みに関する文化・文学研究を参照しつつ、“I measure every Grief I meet” (Fr550)などの詩群を議論の俎上に乗せたい。
ディキンソンは最初の単著Modernizing Solitudeで扱いましたが、彼女の詩を取り上げるのはだいぶ久しぶりです。
最近はこのシンポの準備に加え、海外からの共著依頼が二件ほどあり、そのアブストラクトなどを作成しています。英語圏で論文を発表し始めて10年ちょっと、ようやく海外からも原稿依頼が来るようになってホッとしているところがあります。一つはメルヴィル関係、もう一つは孤独関係の共著です。
自分の中の価値基準として、依頼仕事よりも、自分の意志で書いた査読論文や単著のほうがはるかに価値が高いのですが、今年は単著も出したことですし、依頼仕事に身を任せるのもいいかなと思っています。依頼仕事と自分のプロジェクトのバランスを考えながら、これから仕事をしていきたいと考えています。