2024年4月26日金曜日

日本英文学会のシンポジアムに登壇します

来週末に東北大学にて日本英文学会全国大会が開催されますが、最終日の5月5日(日)にシンポジアムに登壇します。詳細は以下の通り:

第9部門(B棟2階B202教室)

健康・病・障害:19世紀アメリカ文学の新展開

司会・討論 中央大学教授 髙尾直知

講師 青山学院大学教授 古屋耕平

講師 広島経済大学准教授 本岡亜沙子

講師 明治学院大学専任講師 小椋道晃

講師 立教大学教授 古井義昭

私の発表要旨は以下の通りです:

「痛みを測る──Dickinson作品における言語と他者」

 Emily Dickinsonの詩作品の多くには、「痛み(pain)」がさまざまな形で描かれている。これは彼女が目の病を患ったという伝記的事実や、南北戦争の災禍を間接的に体験したという歴史的背景と無関係ではない。さらには、1846年にボストンで麻酔が発明されたことも、彼女の作品群における痛みの文化的意味を探るうえで重要である。

 痛みに満ちた世界を生きたDickinsonは、痛みを他者に伝える手段としての言語の可能性と限界について詩的思考を巡らせたはずである。言語は、痛みという極めて個人的かつ主観的経験をいかにして他者に伝達しうるのか。あるいは、人は言語を通じて他者の痛みをどこまで理解できるのか。本発表では、Dickinson作品における痛みと言語の関わりに焦点を当て、痛みが提示する他者性に彼女が詩人としてどう向き合い、作品へと昇華させたのかを吟味検討したい。Elaine ScarryからThomas Constantinescoに至る痛みに関する文化・文学研究を参照しつつ、“I measure every Grief I meet” (Fr550)などの詩群を議論の俎上に乗せたい。

ディキンソンは最初の単著Modernizing Solitudeで扱いましたが、彼女の詩を取り上げるのはだいぶ久しぶりです。

最近はこのシンポの準備に加え、海外からの共著依頼が二件ほどあり、そのアブストラクトなどを作成しています。英語圏で論文を発表し始めて10年ちょっと、ようやく海外からも原稿依頼が来るようになってホッとしているところがあります。一つはメルヴィル関係、もう一つは孤独関係の共著です。

自分の中の価値基準として、依頼仕事よりも、自分の意志で書いた査読論文や単著のほうがはるかに価値が高いのですが、今年は単著も出したことですし、依頼仕事に身を任せるのもいいかなと思っています。依頼仕事と自分のプロジェクトのバランスを考えながら、これから仕事をしていきたいと考えています。

2024年4月14日日曜日

阿部幸大さんの書評

公開からずいぶん時間が経ってしまいましたが、筑波大学の阿部幸大さんがブログで「古井義昭『誘惑する他者:メルヴィル文学の倫理』の取扱説明書」というタイトルの書評を書いてくださいました:https://abc-kd.hatenablog.com/entry/2024/03/09/164548

阿部さんは大学院の後輩ですが、教室で一緒になったことはなく、連絡を取るようになったのは、私がアメリカの博士課程に留学していたころだったと思います。実際にお会いしたのは、メールでやり取りを始めてからだいぶ先のことです。

私はもともと海外発信志向で、なんとか英語圏で頑張ろうとしていたものの、あまり周りに「同志」といえる人がいない状態でした。そんななか、阿部さんは私の方向性に共感してくれて、頻繁にやり取りをするようになりました。いまでは彼はアメリカ文学のトップジャーナルに論文を掲載するようになり、気づいたら私の先に行ってしまいました:

https://read.dukeupress.edu/american-literature/article/95/4/701/382070/Afro-Asian-Antagonism-and-the-Long-Korean-War

冒頭で紹介した書評は、私の本を「内容」ではなく「論文執筆のテクニック」という観点から評した非常にユニークなものになっています。彼とは文学研究に対する姿勢においては異なる点があるものの、私が各章のイントロでやろうとしていることを正確に言語化してくださっています。

阿部さんとこれまでよく話してきたのは、論文というのはテクニックさえ習得すれば、ある程度以上のものは書けるようになるはず、というものです。阿部さんも私も超放任主義のところで育ったので、無手勝流で論文の書き方を構築していったわけですが、そういうテクニックは教えることが可能なので、それは一部の人の秘教的なものではなく、あまねく共有されるべきだと以前から二人で話し合っていました。私自身、早い段階でそういうテクニックを誰かに教えてもらえていれば、もっと早くから結果を出せたのに、と思います。

阿部さんはその論文執筆のテクニックをまとめたアカデミック・ライティング本を出版予定とのことで、それによって論文執筆という行為が脱神秘化されることを期待します。論文を書くというのは、「頭がいい」、「センスのいい」一部の人たちにのみ可能なものではないはずです。私はすでに草稿を読ませていただきましたが、膝を打つ内容ばかりでした。乞うご期待。

研究者研究のススメ

一人の研究者が書いたものを、時系列順に読み進めてゆく-- そんな経験はあるでしょうか。 先日、紀伊國屋書店で阿部幸大さんとの対談が開催されましたが(お越しいただいた方々、ありがとうございました)、事前準備として、阿部さんが書いた論文を8本ほど時系列順に読むことで、「阿部幸大研究」...