2025年6月22日日曜日

国際メルヴィル学会に参加してきました

コネチカット大学で開催された国際メルヴィル学会に参加してきました。

会場となったUniversity of Connecticut, Avery Pointは海沿いのキャンパスで、今回の学会のテーマである"Oceanic Melville"にふさわしい会場でした。

自分の発表では『白鯨』における日本表象についての考察を行いました。こちらの論文バージョンは来年海外で出版の共著に収録予定。


また、"Global Imaginings"と題されたパネルでは司会を担当。登壇者のEmilio Irigoyen、Nick Spenglerとは久しぶりの再会で、たくさん話ができてよかったです。特にNickの発表は私が今やっているアサイラムの研究と共鳴するところが多々あり、今回聞いた発表の中で一番興奮しました。今後の研究の展望が開ける思いがしました。

他にも、バークレーでお世話になったSam Otter先生と再会したり、私の論文を読んだと言って感想を伝えてくれる方もいたり、私が論文を読んで感銘を受けた著者と直接話ができたり、さまざまなメルヴィル研究者たちと交流ができました。もとが社交的な人間ではないので、社交、社交の連続で疲れはしましたが、いろんな人脈を築けた貴重な機会となったのは間違いありません。

また、一緒にパネルを企画したPaul Hurhさんと数人でディナーをご一緒した際には、アメリカでの出版事情について話を聞くことができ、アメリカのUPから単著を出す、という私の現在のプロジェクトについてもやる気をもらいました。

それにしても、今回は(今回も)日本人研究者の参加が非常に目立ち、12、3名は発表していたはずです。アメリカの研究者たちからは、「なんで日本ではメルヴィル研究がこんなに盛んなんだ?」と何度も聞かれましたが、うーん、謎です。

2025年6月13日金曜日

国際メルヴィル学会に参加してきます

来週からアメリカのコネティカット大学で開催される第14回国際メルヴィル学会に参加してきます。

国際メルヴィル学会に参加するのは、2015年の日本開催大会、2019年のNY開催大会、2022年のパリ開催大会に続いて4回目です。毎回、世界中から多くのメルヴィル研究者が集い、メルヴィル研究の熱を感じられる貴重な機会です。また毎回のことですが、メルヴィル研究では日本の研究者のプレゼンスが目立ち、今回も10人以上の日本人研究者が発表をします。

私は発表と司会をそれぞれ一回担当します。発表に関しては以下の"Pacific Alterities"というパネルに参加します。

このパネルは、同じ登壇者のPaul Hurhさん(アリゾナ大学)と私で企画したものです。海外で発表はたくさんしてきましたが、パネルを企画したのは今回が初めてでした。Hurhさんには以前、私が企画したイベントに参加していただいた経緯があったり、私が彼の著書American Terror: The Feeling of Thinking in Edwards, Poe, and Melville (Stanford UP, 2015)を書評したこともあったりと、いろいろな縁が繋がって今回の企画に至りました。さらには彼の大学院時代の指導教員はSamuel Otterで、Samは私がカリフォルニア大学バークレー校で研究員をしていた頃の受け入れ教員でもあり、研究の世界というのはまさにsuch a small worldです。

また、私の発表内容はこれまでの研究者人生で初めての日本を絡めた内容となっています。来年に出版予定の海外から出る共著用に書いた原稿をもとに、『白鯨』における日本の他者性というテーマで発表します。

あともう一つ、司会を務めるパネルは以下のとおり:


登壇者のEmilioとNicholasは、以前Leviathanの特集号"Melville and Spanish America"で一緒に仕事をしたことがあり、そういう縁で司会の仕事が回ってきました。

こうしてみると、私もそこそこ長く研究していることもあって、それなりに海外の研究者とも関係性を構築してきたのだなと思います。今回の学会参加を通じて、さらに世界の研究者たちといい交流ができればと期待しています。

2025年6月3日火曜日

中原伸之賞を受賞しました


このたび、拙著『誘惑する他者:メルヴィル文学の倫理』(法政大学出版局、2024年)に対して、アメリカ学会より第6回中原伸之賞が授与されましました。つい先日、5月31日に北海道大学で開催されたアメリカ学会大会にて、授賞式に参加してきたところです:https://www.jaas.gr.jp/archives/2332

中原伸之賞とはどのような賞かというと、学会による説明を引くと以下の通りです:「この賞は、本学会員の第2作以降の単著(年齢制限なし)ないしは本学会員の最初の単著(この場合のみ出版時50歳以上であること)のなかから、日本、アメリカ、あるいは世界のアメリカ研究の水準を高めることに貢献できる、深い知見と新しい視座を提供する特に優れた研究書に、賞状と賞金5万円を贈るものです。」(https://www.jaas.gr.jp/nakahara-prize-html.html

まずは、審査をご担当いただいた委員の先生方、そして(どなたか分かりませんが)外部査読を行ってくださった先生方に深く御礼申し上げます。一冊の本を読んで評価を下すというのは非常に大きな労力がかかる作業であり、労を割いてくださったご献身に頭が下がる思いです。ありがとうございました。

また、本書は元来、狭義のメルヴィル研究という専門の枠の外へメルヴィル作品を開くために書いた本です。アメリカ文学研究書を出版したことがない法政大学出版局から出版したこともその狙いの一環でした。内容に関しても、隣接した分野の知見を取り入れた学際的なアプローチになっており、まさに分野横断的な学術組織であるアメリカ学会にこのたび顕彰いただいたというのは、専門外の方に私の仕事を認めていただいた、ということかと思います。その意味で、当初の私の目的が達成されたように感じており、非常に嬉しいです。

大学のHPにも情報がアップされました。こちらでも受賞のコメントを寄せています:https://www.rikkyo.ac.jp/news/2025/06/mknpps0000038b6x.html

これを機に、さらに多くの読者に本書を手に取っていただき、メルヴィル文学の面白さを伝えられればと願っています。




阿部幸大さんの選書フェア

新著『被害学のナラティブ』が話題の阿部幸大さんですが、東大本郷の書籍部で、「文章が上手くなるための本らしからぬ、文章が上手くなるための20冊」という阿部さんによる選書フェアが開催中です:https://x.com/toudaihbookcoop/status/1929752977281331452

この選書20冊のうち、拙著『誘惑する他者:メルヴィル文学の倫理』を取り上げてくださっています。以下のような推薦文をおよせいただきました。

ここに阿部さんが書いてらっしゃるとおり、阿部さんや私のような研究者を「過去のものにする」若い方々がこれから現れてこそ、人文学業界の発展といえると思います。

早いもので、拙著の刊行から一年以上が経ちました。もっと多くの読者に恵まれることを願っています。阿部さん、ご紹介をありがとうございました。

2025年5月29日木曜日

共著が出版されます

5/30に出版予定の共著が手元に届きました。髙尾直知・伊藤詔子・辻祥子・野崎直之編著『病と障害のアメリカンルネサンス:疫病、ディサビリティ、レジリエンス』(小鳥遊書房、2025年)という本です。出版社の情報はこちらから:https://www.tkns-shobou.co.jp/books/view/705

私は第8章「痛みをまなざす:ディキンソンの脱制度的想像力」(pp. 171-94)という論文を寄稿しています。エミリー・ディキンソンの詩における「痛み」を、近年注目が集まっている医療人文学(medical humanities)という批評的潮流のなかに位置付けながら論じました。ディキンソンについて論じるのは、最初の単著Modernizing Solitude (2019)で論じて以来、かなり久しぶりでした。論の出来は読者に判断してもらうしかないですが、楽しく書くことができました。

ご興味のある方はぜひ手に取っていただければと思います。


2025年5月20日火曜日

『誘惑する他者』書評

アメリカ学会発行の『会報』第217号の新刊紹介欄にて、『誘惑する他者:メルヴィル文学の倫理』が取り上げられました(p. 16)。評者は鈴木一生先生です。オンラインでも公開されています:https://www.jaas.gr.jp/wp23/wp-content/uploads/2025/05/%E4%BC%9A%E5%A0%B1217.pdf

短い書評ではありますが、限られた紙幅の中で、本書で私が強調したかったポイントを掬い上げてくださいました。「倫理の一般性を振りかざすのではなく、あくまで作品側から抽出される倫理の個別性や流動性にこだわる古井氏の姿勢は、多くの文学研究者を勇気づけてくれる」と書いてくださいましたが、この評に私自身が勇気づけられました。

一般論を導くのではなく、あくまで作品読解を通じて個別具体性を提示することが文学研究者の仕事であると再認識した次第です。ありがとうございました。




2025年5月15日木曜日

『誘惑する他者』書評

東京大学アメリカ太平洋地域研究センター発行の 『アメリカ太平洋研究』第25号にて、吉国浩哉先生に『誘惑する他者:メルヴィル文学の倫理』を書評していただきました。「21世紀の「文学の終わり」というタイトルの書評です(pp. 133-40)。

アメリカ文学をご専門にされながら、思想・哲学にも知悉している吉国先生らしく、柄谷行人、ルカーチ、近年のポストクリティークなどを参照しながら拙著をcriticalにマッピングしていただきました。濃密な書評です。理論に弱い自分には、理論的見地から大局的に自分の議論を俯瞰することができないので、拝読して非常に勉強になりました。学会以外の媒体で紹介されるとは思っていなかったので、取り上げてくださったことは嬉しい驚きでした。ありがとうございます。



2025年4月3日木曜日

阿部幸大さんの新著に推薦文を寄せました

阿部幸大さんの新著『ナラティヴの被害学』(文学通信)が手元に届きました。画像のとおり、この本に私が推薦文(blurb)を寄せています。


面白いのが、帯を外しても推薦文が表紙にそのまま印刷されていることです。これはアメリカの学術書を意識したもので、向こうの研究書も通例、表紙にそのまま推薦文が印刷されています。こうしたデザインからも、アメリカ的な文化を日本の出版文化に接合しようとする阿部さんの意図が見えます。

200字という文字制限のため、この本の良さはとてもこの推薦文に書ききれませんでしたが、アメリカ文学研究に関わる人たちには本書をぜひ読んでもらいたいと思います。阿部さんは「もう文学研究はやらない」というようなことを(たしか)X上で言っていた記憶がありますが、そういう発言に惑わされてはいけません。本書はすぐれた文学研究のモデルとなっていますし、私からすれば阿部さんはかなり「文学している」人に思えます。

ここで私が言う「文学している」というのは、文学テスクトを精読する姿勢のみならず、文学を読解する際にある感情的強度をもって特定のテーマに固執している、ということを指します。研究の背景に、ごく私的で個人的な論者の姿が透けて見えるということです。

私は特に、本書の大きなテーマでもある「部外者」に着目しているのがいいなと思いました。阿部さんは、ある事象に当事者として直接的に関わることができず、当事者性から疎外された孤独な個人の存在に光を当てています。周縁化されて批評に等閑視されてきた人物に注ぐまなざしが、本書を単なる知的な議論以上のものにたらしめていると感じました。まあ、こんな感想を抱くのは私くらいかもしれません。

文学研究に携わる人には必読の一冊です。

2025年4月1日火曜日

新作論文が公開されました

ハーマン・メルヴィル『戦争詩集』に関する論文がネット上で公開されました:https://www.cambridge.org/core/journals/journal-of-american-studies/article/ventriloquizing-the-south-reading-melville-across-the-civil-war/E8CAB90FB003B664B125B92E01BED98A

タイトルは"Ventriloquizing the South: Reading Melville across the Civil War"というもので、Cambridge UP発行のJournal of American Studies誌に掲載されました。2019年に「バートルビー」論を掲載したことがあり、これで同誌に載るのは二度目となります。

内容としては、Cody Marrsが提唱しているtransbellum literatureという概念を参照しながら、メルヴィルという作家のキャリアを、南北戦争を超えて一つの総体として捉えることを目指した論文です。メルヴィルといえば、南北戦争前の小説家メルヴィル、南北戦争後の詩人メルヴィル、という二つのメルヴィル像が構築されてきたわけですが、本論では南北戦争を作家キャリアの断絶と捉えるのではなく、南北戦争を経た上での連続性を前景化しました。

「掲載」といっても、これはネット上での先行公開でしかなく、実際に本掲載されるのはまだ時間がかかるようです。論文がアクセプトされてからここまで十ヶ月もかかっています。投稿してからは実に2年半。この調子だと、生きているあいだに出せる査読論文はあと10本くらいかもしれません。

この論文、本来であれば昨年出版した『誘惑する他者:メルヴィル文学の倫理』に収めたかったのですが、まったく時期的に間に合いませんでした。残念。

反省点としては、あくまで人が作った参照枠(この場合はtransbellum literature)を援用して作品を論じているところです。これ自体まったく悪くはないのですが、同じことはこれまでもやってきたので、少しでも参照枠を作る側に回ることができるよう、これから努力したいです。ただ、この論文でも、自分なりにこれまでとは違うことはしているつもりで、複数の作品を扱いながら作家のキャリアを提示する、という射程の広い議論は、一つの作品に絞ったこれまでの作品論ではしてこなかった論じ方です。この論文はサバティカルでの自己改造中に書いたものですが、今も自己改造は道半ばです。作品論という呪縛に悩まされ続けています。

また、このジャーナルのこれまでの論文執筆者を調べると、大体がすでに英語圏でテニュアを得ている研究者で、単著をすでに何冊も出している人も多いです。執筆者に院生が比較的多いジャーナルというのも海外には存在しますが、ジャーナルのレベルが高くなると、寄稿者のレベルも上がります。先日の筑波でのシンポの内容と関わりますが、阿部さんが言うジャーナルの「ランク」を把握するには、寄稿者の属性を調べるというのも一つの有力な判断材料になるでしょう。

論文を読みたいけどアクセスできない、という方がいれば気兼ねなくご連絡ください。




2025年3月28日金曜日

『誘惑する他者』書評

立教大学英米文学専修発行の『英米文学』第85号に、『誘惑する他者:メルヴィル文学の倫理』の書評が掲載されました(pp. 37-40)。評者は同大学院生の梅澤琉登氏です。

本書全体の狙いをまとめつつ、各パートから一つずつ章を選んで、それぞれの章に詳しく考察と評を書いてくださっています。「本書は、メルヴィルや19世紀のアメリカ文学に興味がある人々だけでなく、広く文学に関心を持つすべての人々に読まれるべき一冊」と書いていただきました。ありがとうございます。

実際、本書を法政大学出版局から出版したのも、アメリカ文学研究の外の人たちにも読まれたいと思ったからでした(同局はアメリカ文学関係の本を出版したことはありません)。ちょうど出版から一年が経過しましたが、今後も本書が専門の垣根を超えた多くの読者に届くことを心から願っています。







2025年3月2日日曜日

『アメリカ文学史への招待ーー豊饒なる想像力』刊行

私が分担執筆を行った『アメリカ文学史への招待:豊饒なる想像力』(橋本安央・ 藤井光・ 坂根隆広編著、法律文化社)が手元に届きました。

私は「ヘンリー・デイヴィッド・ソロー」(pp. 54-55)、「森の生活:ウォールデン」(pp. 182-83)の二つを担当しました。同僚の舌津智之先生、小南悠先生もご寄稿されており、立教勢が活躍している本です。

文学史の流れを広く深く知ることができる、充実の内容です。アメリカ文学に関わる方は、ぜひ一冊お手元においていただきただければ幸いです。

Amazonへのリンクはこちらから。刊行は3月中旬となるようです。

2025年2月13日木曜日

海外出版に関するシンポジウムのお知らせ

3月14日(金)に、「論文投稿と学術書出版のジオポリティクス:海外ジャーナルとアメリカ大学出版局」というシンポジウムに登壇します。詳細は以下のポスターをご覧ください。


参加には以下のリンクから登録が必要です。ポスターの画質がうまく設定できないのですが、シンポの詳細はこのリンク先でも読めます:https://forms.gle/WXWXfdnUyiXQ8Ab79

筑波大学の阿部幸大さん、竹谷悦子先生とご一緒します。阿部さんは売れっ子ですでに有名人かと思いますが、竹谷先生は日本の学会などでご登壇される機会も少ないので、お話を伺うとても貴重なチャンスとなります。ポスターのパネリスト紹介にあるように、すさまじいご業績です。日本の英米文学研究者を広く見渡しても、英語圏の土俵でここまで結果を出している人は竹谷先生をおいて他にいません。

竹谷先生はすでに2冊の研究書をアメリカの大学出版局から出しており、なんとまた新著を刊行予定とのこと。すごいバイタリティです。そんな竹谷先生のお話を聞けるだけでも本当に貴重な機会で、私が一番楽しみにしているかもしれません。

私は、「博論から単著へ:アメリカ大学出版局奮闘記」と題して、アメリカの大学出版局から研究書を出版した経験についてお話しします。私が博論の書籍化を目指していたとき、アメリカの大学出版局から単著を出すには具体的に何をどうしたらいいのか、アドバイスをくれる人は周りにまったくいませんでした(経験者がいなかったので)。そのため、手探りのまま出版社にメールを送るところからの出発となり、スタートの時点で非常に苦労した経験があります。

そういう苦労は本来はしなくていい苦労であり、人から教えてもらえば簡単に省けるものです。アメリカ大学出版局からの単著刊行を目指す人が、これから同じような苦労をする必要がないよう、私の経験をお伝えできればと思います。昔の自分であれば、こういうイベントがあったらどれだけ助かったかわかりません。今後、アメリカ文学に関する研究書をアメリカで出版する、という人が増えていってほしいと勝手に願っています。

書籍化の話だけだとハードルが高いと思いますが、阿部さんと竹谷先生は海外ジャーナルの話もされるとのことですので、まずは海外誌に投稿してみたい、という人も必聴です。

研究成果を英語で世界に発信するのはめちゃめちゃ楽しいことなので、「自分もやってみたい!」と思っていただけるようなお話ができればと思っています。奮ってご参加ください。

2025年2月2日日曜日

『誘惑する他者』書評


日本メルヴィル学会の機関誌『Sky-Hawk』最新号にて、巽孝之先生に『誘惑する他者:メルヴィル文学の倫理』を書評していただきました。ありがとうございます。

巽先生にしか絶対に書けない書評で、冒頭の数ページは日本のアメリカ文学研究の発展と国際化の歴史が語られます。その文脈のなかに私のこれまでの仕事(イベントの企画等も含む)を位置付けたうえで、「日本出身のスカラー=クリティックが国際的エディター/プロデューサーをも兼ねうる21世紀の「アメリカ文学者の仕事」そのもの」(30)と評していただきました。

これは個人的にかなり嬉しい評価です。というのも、国際的に人々をつなげる仕事をこれまで公の場で評価されたことはなく、そこに目を向けてくれる人がいたらいいなあ、と思ってきたからです。私は研究発信そのものだけではなく、J19というアメリカのジャーナルで日本のアメリカ文学研究を紹介する企画を実現させたり、それに関するオンライン・イベントも企画したりなど、意識的に日本人研究者が海外に目を向け、海外研究者が日本に目を向けてくれるように努力してきました。そういった地味な活動に光を当てていただいたことで、これまでの努力が報われるような思いをしました。

続く本書自体の評では、特に本書の「脱構築以降の精読」(32)、特に『ピエール』論におけるink/kinのアナグラムなどを評価していただきました。私はこれまでデリダを論文や本で直接引用したことはない気がしますが、文学の読解においてデリダや脱構築批評にかなり影響を受けており、脱構築の盛り上がりをリアルタイムで経験した巽先生に、私の脱構築的読解に目をつけていただいて嬉しかったです。

さらにご指摘いただいて勉強になったのは、脱構築批評が隆盛を誇っていた時点で倫理批評はすでに存在したという点(33)で、そこは盲点でした。これも脱構築批評に精通している巽先生ならではのご指摘です。

というわけで、巽先生の書評は拙著の内容だけではなく、日本のアメリカ文学研究の国際化の歴史、脱構築批評と倫理批評の関係まで勉強になる、非常に濃い内容になっています。ご興味がある方はぜひお読みいただければと思います。なかなか入手しづらい媒体なので、読みたい人は個人的にご連絡ください。

追記:法政大学出版局のXでも取り上げてもらいました:https://x.com/hosei_up/status/1885930831023362355





2025年1月22日水曜日

今後の目標:アメリカの大学出版局から単著を出します

今後の長期的な目標を自分のなかで定めたので、自分を追い込む意味でも公の場で記しておきます。

40代のうちに、アメリカの大学出版局から研究書を出版します。

昨年の3月に『誘惑する他者:メルヴィル文学の倫理』を出版してから早くも一年近くが経過しましたが、ここ半年ほど、次はいったい何を目指せばいいのか思い悩む日々を過ごしていました。

上記のメルヴィル本を出したときは41歳で、自分のなかでは30代までの研究の総決算のような本でした。これから40代を過ごすうえで何を目的にすべきか考えた結果、上記の目標に向けて動いていきたいと思います。

40代のうち、というのはなんとなく区切りがあるほうが頑張れるから、くらいの意味で、もっと早く出せればそれに越したことはないです。でも、向こうで単著を出すのは容易ではないので、けっこう時間がかかると思います。

テーマはasylum(避難所)です。すでにいくつか論文を書いており、そのうちの一つは「アサイラム・ファミリー」というタイトルで日本語共著として出版済みです。

2019年に最初の単著Modernizing Solitudeをアメリカの大学出版局から出したときは、「こんな大変なことはこりごり」と思ったのですが、日本語の単著執筆を経て、もう一度チャレンジしたくなりました。考えるだけで早くもうんざりしますが(本当に大変、特に査読審査が)、頑張ります

こう書くと立派な目標に聞こえるかもしれませんが、大変なぶん、やりがいがあるので楽しいほうを選んでいる、というシンプルな話です。周りから求められているわけではないので、何をしたらいかに自分が満足できるか、という自己満足の問題なのかもしれません。

国際メルヴィル学会に参加してきました

コネチカット大学で開催された国際メルヴィル学会に参加してきました。 会場となったUniversity of Connecticut, Avery Pointは海沿いのキャンパスで、今回の学会のテーマである"Oceanic Melville"にふさわしい会場でし...